ハンセン病問題に関わって出会った人たちと願い

大阪教区泉勝寺 小松 裕子

  

交流は私たちがいただくもの

 私は奇数月に邑久光明園、偶数月に長島愛生園の同朋会に参加し、交流を続けてきた。ハンセン病問題に出会ったことを忘れず、「らい予防法」が生み出した悲劇を繰り返さないためにはどうすればよいかという課題に向き合い、療養所で生きてきた人たちについて伝えていくことが私にできることと思っていた。しかし、10年、20年と療養所の人たちと付き合う中で、私が何かをしてあげるのではなくて、私が多くのものをいただいていたことに気づかされた。だから支援者と言われることにはすごく抵抗がある。ただ私は友だちでいたいだけなのだ。療養所の人たちは、同朋会に来てよかったことがあるかを尋ねた時に、「たくさんの人に出会えたことや」と答えておられた。それは私にとっても大切な出会いをいただいていたのだ。一人の人間として出会い、話をし、聞く場を持つことの大切さをいつも気づかされる。

 初めて愛生園を訪れた時には同朋会も賑やかだったが、今は両園とも来る人は少なくなってしまった。しかし、その中でも光明園の94歳の吉田藤作さんは、昨年の暮れに映画『NAGASHIMA~・かくり・の証言~』が故郷の福井で上映されるから一緒に行かないかと誘ったところ、行くと言われてJRの職員に助けられながら一人車いすで京都駅までやってこられた。福井駅に着いてからは「ハンセン懇」の仲間が待っていてくれて、無事にお墓参りもすませて、上映会へ行き、翌日京都駅から一人で帰られた。故郷に一人で帰ってくることができたのだ。たとえ車いすでも、私たちが準備をして待っていれば交流ができる。こちらから療養所に行けなくても、お互いが行き来できる関係を藤作さんは教えてくれた。

 また昨年、小松大聖寺教区の方々が両園に来られて交流食事会をした。年初に発災した能登半島地震の際、入所者の方々から口々に、「昨年来られた人たちのお寺は大丈夫だったか、みな無事でおられるか」と気遣う言葉をかけられた。こうしたお互いに顔の見える関係、知り合いを心配するという日常の会話ができる関係をつくっていきたいと願っている。

  

ある退所者の姿を通して

 また、両園の人たちとの交流のほかに、療養所を出て関西で生活されている関西退所者の会「いちょうの会」にも参加させてもらって、多くの人に出会い、多くの学びを得ている。今年の冬は酷い咳と鼻水に悩まされ、自分の体力を過信してきたことを反省させられた。「いちょうの会」の友人に話を聞くと、ほとんど全員がどんなに体調が悪くなっても市販の薬で何とか乗り越えてきたそうだ。病院に行けば自分のハンセン病歴を話すことになるから、それだけはしたくなかったと言われる。風邪はおとなしくしていたら治るけど、大怪我をしたり、もっと不安な症状が出た時は、悔しいけれど再入所の道を選ばざるを得なかったと何人もの退所者の人から聞いた。

 そのように再入所を余儀なくされた人たちがおられる中、一昨年に亡くなった森敏治さんは、かつてバイクで事故に遭い、大怪我をした時に「療養所に戻ることは自分に負けることになるから」と、何があっても療養所にだけは帰らないと決心していたので、自身の病歴については完治しているからと説得し、治療してもらったと言われていた。

 森さんはいつも前向きだった。療養所にいた時も、外に出ることばかり考えていたそうだ。その強い信念はどこからくるのかと聞いたところ、最初に京大病院で診てもらった時に、この病気は治ると医者が言ってくれたそうだ。治ると聞いた時には本当に安心したと言われていた。森さんはその医者を信じ、信頼する人を得て、自信を持って何も恥ずべきことはないと堂々と生き切られた。そんな森さんを尊敬するし、誇りに思っている。

 友だちも多いことに驚かされた。森さんが亡くなった時に、私はお葬式の導師をさせてもらった。お通夜の後、会葬者に思い出を語ってもらった。その時に残った人の多さに驚き、森さんがいろいろな所に講演に出向き、多くの人と関係を深めてきたことを知らされた。以前、森さんに啓発活動を続けているのはなぜかと尋ねると、「差別がなくならないから続けてるんやよ」と明快な答えが返ってきたことを思い出す。

  

ハンセン病問題と向き合い続ける

 南御堂の報恩講期間中に開催している啓発パネル展にも何度も来てくれた光明園のKさんは、小さな写真でも啓発のための広報に載せると怒られた。「啓発はありがたいと思うけど、やってほしくないのが本音や」といつも言われた。家族とも良好な関係で毎年帰省しているのに、もし自分の病気が世間に知れたら甥や姪に迷惑がかかるというのだ。でもその後に、「この病気を一番差別してるんは俺なんやろなぁ」と付け加える。どれほど過去に辛い思いをされたのかと考えてしまう。そのくらい「らい予防法」や「無らい県運動」は人間の心を壊してきたのだと痛感させられる。ハンセン病に対する誤った認識を正し、どんな人でも大切にされる世界を願って長年取り組まれているにもかかわらず、一度自分に染み付いた差別の心はなかなか抜けない。そうして自分で、自分の病気を一番憎ませているのだと思うとやり切れない気持ちになる。

 私は、社会からハンセン病回復者がいなくなり、療養所に誰も入所者がいなくなった時に、このハンセン病問題を語り継いでいってくれる人がどのくらいいるのだろうかといつも不安に思っている。差別した者も、差別された者も共に救われていく道はどこにあるのか。亡くなって「ほっとした」と言わせないためにも、もっともっと、交流や啓発に努めなければと思う。

 私たちが無関心で、想像力を働かせることをしなかったために、厳しい生活を強いられた多くの人々に想いを寄せる場を今後も作っていきたい。ハンセン病問題と向き合い続けること、記憶に刻み続けること、学び続けることができる場の創出が、今こそ大事な時であると感じている。

  

※文章中に登場する吉田藤作さんは、小松さんが本原稿を執筆中の2月6日に亡くなられました。宗派の取り組みに多大なご協力を賜りましたことを心より感謝し、謹んでお悔やみ申し上げます。

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2024年4月号より