おはようございます。前回は分別のかたち、つまり、自分のはからいを頼りとする、自力のかたちを、お釈迦さまの出家の動機を通して考えてみました。実は、仏教の伝統において分別ということは、実際の迷いのあり方としては「生死」という言葉で表されています。今回と次回は、その「生死」、生まれ死ぬと書きますが、それがいかに仏教の根本的な課題であるかということを考えてみたいと思います。
さて、「生死」とは、お釈迦さまの時代のインドのことば、サンスクリットの「サンサーラ」の訳語です。これは「輪廻」とも訳されていますが、「死んでは生まれ変わること」を意味しています。当時のインドでは、このことをほとんどの人が信じていました。それに対して、お釈迦さまや六師外道といわれる人たちは、そういうありかたに支配されている生き方を離れなさいと説いたのです。その中でお釈迦さまは「生まれ変わり」を信じている人々に、その生き方、有り方を「苦、くるしみ」であるとして、生まれ変わる私というものはない、つまり無我であるとおっしゃって、そこから出ること、つまり生死から解脱することを説かれました。そして、その解脱とは「涅槃」という静寂、静かな境地であると述べられたのです。ですから仏教は最初から「生死を出るための道」なのです。
親鸞さまの仏道も「生死を出るための道=生死いづべき道」であるのは、皆さんも、ご承知のことかと思いますが、少しご紹介したいと思います。
京都で親鸞さまが亡くなられたに、そばにいらっしゃったのは娘の覚信尼さまでした。覚信尼さまは、越後に住む、母であり、親鸞さまの奥様である恵信尼さまにそのことを知らせるためにお手紙を出されました。それに対する恵信尼さまのお返事のなかに「生死いづべき道」という言葉が出てきます。親鸞さまが比叡山を降りて、法然さまのところへいったようすが描かれている部分です。
親鸞さまが比叡山を出て、六角堂におこもりになられて、後世、後の世と書きます。それをお祈りになられていたところ、95日目の夜明け前、聖徳太子のお告げを受けましたので、すぐに夜の明けないまま、六角堂をお出になられて、後世の助かる縁にあおうと、法然上人をたずねました。六角堂に百日おこもりになられましたように、また、100日の間、雨が降っても太陽が照りつけても、どんな大事があっても、参っていたところ、法然さまはただ後世の事は、善き人にも悪しき人にも、どんな人にも同じように、「生死を出るための道」を、ただ一筋に仰せられていました。 |
大体を訳してみましたが、親鸞さまは「後世を祈って」おられたのです。後世とは意見が分かれるところでしょうが、後の世、死んだ後のことと考えて差し支えないと思います。しかし、後世を問題にするのは、やはり、「今」なのです。今、後世に対して不安を持っているわけです。その親鸞さまに、法然さまは「ただ後世の事は、善き人にも悪しき人にも、どんな人にも同じように、「生死を出るための道」を、ただ一筋に仰せられて」いたのです。もちろん親鸞さまが、法然さまからいただいたのは、お念仏の教えです。そのお念仏の教えが「生死を出るための道」であったということなのです。
当たり前のことかもしれませんが、お釈迦さまと親鸞さまの課題は同じ言葉で説かれているわけです。つまり仏教とは「生死を出るための道」なのです。私たちのなかに、親鸞さまやお釈迦さまの時代の人のように、後世や、生まれ変わりを信じている人は少ないと思います。死んだら終わりだという科学的な生命観を持っている人が多いのではないでしょうか。それは迷いではないように見えますが、実は、仏教の視点から言うと、それこそが生死に最も深く絶望している迷いの有り方なのです。それについては、次回、お話したいと思います。