おはようございます。白山です。「今、いのちがあなたを生きている」の三回目です。
ここで言われる生きるとは、わが思いの表現ではなくて、いのちが私の上にどう、その用きを表現して下さっているかということでしょう。でもそこに私の気付き、なくしては、いのちの用きは徒労に終ることでございます。その意味では永遠の年月の中での初めての出来事としての気付きは、我々の本当の涙ともなりましょう。
親鸞聖人のお書きになられた全てのお書き物は親鸞聖人の気付きの涙ということができましょう。私は日々、正信偈・念仏・ご和讚を読んでお参りしていますが、その正信偈ご和讚を読みながら聖人とともに涙しているだろうかと問われてなりません。お参りしながらも日々の雑用に心うばわれている私がそこにいるのです。
ご和讚の中でも私達が一番なれ親しんでおりますのはおそらく
弥陀成仏のこのかたは
今に十劫をへたまえり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥を照らすなり
このご和讃でしょう。このご和讚を読んだ時に私どもが思いますのは、十劫とは永遠の時の流れを表しますから、ずい分年とった仏様だなあということしか思わないかもしれません。
実はここに親鸞聖人の気付きの涙がございます。仏様はポンと向う側に、こちらと関係なくいらっしゃるのではございません。それは永遠の昔、私どもの迷いの最初において、その迷いから救いたいというそのお心が、本願が、迷いに寄り添って誕生された、その方のことを阿弥陀仏というのであります。
阿弥陀仏は迷いの最初からずっと私のかたわらに立って声をかけ続けておられた方であります。ご縁がございましたら、絵像でも木像でも一人立つ阿弥陀仏をじっと見て頂きたいと思います。この頃、私にはそのかたわらに座っている一人の人が見えてしようがありません。その一人とは私自身でございます。ご本尊のお姿、それは私のかたわらに立たれている、阿弥陀仏の救いのみ心、ご本願であろうと思うのであります。そして、ずい分長いこと放蕩を続けて来た自分の姿を同時に思うのであります。永遠の時の中に仏様に呼ばれながらそっぽを向き続け、あらぬ方向に心をうばわれて来た、そういうことが表されているのでしょう。そのことに気付き涙を流された方、親鸞、そしてその表現があのご和讃なのでしょう。
私のお寺の念仏者の一人Aさんのお話をしましょう。ある時、五年程音信不通となっておりました七十代のAさんが癌を患って、余命一年の宣告を受けられ子供さんとともに最後のあいさつに見えられました。「住職さん大変お世話になりました。私はここから病室へ直行、これで見おさめ」と言って下を向いてしまいました。とっさに私はこう申しあげました「おじいちゃん、仏さまのお弟子になるあかしの名前、法名もらおうか」その声を聞いてAさんの目には生気が蘇りました。「それそれ」と私に指さしながら、「ワシはそれをもらいにここに来たのかもしれん、うちの死んだばあさんが"じいさん法名もらわんとね。おそくなるよ"と言っていた。ばあさんは法名もろうて笑って死んでいった。今くれここでくれ」と言うものですから、その場で法名を紙に書きつけて仮の儀式をしてお渡ししました。「ワシは、法名のいわれもばあさんにきいとるよ。法名は仏様の呼び声だってね、仏様と二人連れの人生がやっと始まった」と泣きながら笑いながらお別れしました。後日聞いた話によると帰りの車の中で法名を見せながら「法名もろうたから仏様と一緒、これでおれは仏様やぞ」と言い続けたそうです。Aさんの中に生まれて下さったいのち、そのいのちに気付けたAさん。気付きとは心身ともに解決のつかない不安を我とした者に、絶対の安心を開くものでしょう。
大谷大学の元学長である曽我量深先生のお言葉に「如来は我なり、されど我は如来にあらず、如来我となりて、我を救いたもう」とございます。南無阿弥陀仏と表現される真のいのちは、不安一杯のAさんの中に生まれ、Aさんという人と人生に、ごまかさず、はっきり目覚めて生きることを教え、どんな不安な人生でも、くじけることのないように抱きしめ、その人を心豊かに活き活きとさせずにおかない、浄土という世界へ、Aさんをいざない続けて下さいました。Aさんはそのいのちに気付いて生きたのです。