ラジオ放送「東本願寺の時間」

池田 徹(三重県 西恩寺)
第六回 「さらば、行け」音声を聞く

 生きる意欲は、関係の中から与えられ、意欲は「人」との出会いを通して与えられます。今日は、ある女性の出会い、生き様をご紹介したいと思います。
 その女性に、お寺での「仏教青年会」という集まりでお話をしていただきました。その方はご両親の話を最初にされ、お父様は農業をして、お母様は自転車の後ろに大きな箱を載せ、呉服物の行商をされていたとのこと。行商の合間によく、真宗本廟(東本願寺)や、別院といわれるお寺にお参りされると、必ず仏教の本をお土産に買ってきたそうです。その本をお父様がよく読んで、それを大学ノートに書き写していたというお話でした。その方を真ん中に挟んで、仏法の話し合いをしていたといいます。「阿弥陀さんを拠り所とするとは、お前どう思う、母ちゃん?」。そんなご両親の会話を聞きながら育ち、また、「人間に生まれるということは、たとえば富士山のてっぺんから麓まで糸をたらして、針の穴に糸が通ることがあっても、人間に生まれるということはもっと、有り難い、有り得ないことなんや。生まれ難い人間に生まれさせてもらったからには、仏法を聞かなあかん、しっかり聞けよ。この世は逆さま事やでなぁ」と、50年以上も前の母親様の言葉を、よく思い起こしているというお話しでした。
 仏法を聞き学ぶという「この道」をご両親がつけてくださったのです。45歳の時にご主人を亡くされ、その後も、いろんなことがありながらも、仏法を聞く場所に身を運んでいたとのこと。そのエネルギーは、たくさんのお友だちと仏法を生きる先生方との出会いだと、喜んでおられました。本当にいつも喜んでおられました。
 65歳で病気に出遭っても、一段と生きる意欲が溢れ出て、生き活きしておられました。「思いがけなく、病気のご縁を頂き、今まで目先の事ばかりに追われて、いつまでも命があるかのように思い、根本問題に向き合わず、やり過ごして生きてきた。病気のおかげでめどがついた」 と、言われました。「死すべき身を忘れて生きてきた」ということを、病気をご縁に気づき、余命半年と告げられ、そこから「このこと一つ」、より深く仏法を求め、聞き続けてくださっていました。
 病院では、同室の方々の声を聞いて「語り合い」をしておられたようで、友人が見舞いにいったとき、「ここに本当のことがある。退院して外へ出ると、虚飾ばかりだ。人間の事実を見ていない」、と教えてくださったと、聞きました。
 その後、お薬が、よく合って、少し回復していかれました。何度か入退院を繰り返しながらも、病院へは、「ただいま!」と、たくさんの本を持って、旅行に行くみたいに出かけ、退院すると、また仏教の勉強会に出かけ、友だちと語り合い「あり難い、もったいない」と、そのいのちを燃焼していかれました。
 なんと言っても、ご家族の支えを、喜んでおられました。できるだけ自宅で過ごさせたいというご家族の思いで、介護を受けておられました。いつも家族に手を合わせておられたとことと思います。
 その方のご子息からお聞きしたことですが、だんだん、癌が転移し、記憶も無くなりつつある時、その病状を知るためにケアマネージャさんが、質問をされた。「あなたはどちらから、来られたのですか?」。もちろんこの問いかけは、生まれ故郷を尋ねたのです。その方は、朦朧とした中からも 即座に、「浄土です」と、応えられたそうです。深い信仰からの自覚的表現のことばです。
 相手の方はどう思われたのでしょうか。重症と捉えたのでしょうか。私は驚きと感動をいただきました。
 68歳で、「浄土」、すなわち、いのちの本来性、もとのいのちに、お還りなさいました。たくさんの言葉を残し、生涯かけて、求め続けた姿を確かに見せていただきました。「仏法一筋」のご生涯でした。
 私は、彼女の生き様から、「さらば行け!この道ひとつ失わず」―「さあ、行きなさい!この道ひとつを失わないで」という呼びかけ、勧めとして、承りました。やがてその方の3回忌をお迎えするに当たって、改めて御礼申し上げたいです。

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