ラジオ放送「東本願寺の時間」

黒田 進(滋賀県 満立寺)
第6話 「いのちの声」 [2005.12.]音声を聞く

おはようございます。最終回の題は「いのちの声」です。改めてこの番組のテーマであり、2011年にお迎えする宗祖親鸞聖人750回御遠忌のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」を口ずさんでみる時、ふとこのいのちというのは、亡き人のいのち、その心、そして今もありありと耳に残る亡き人の声であろうかと思うのです。
「ごえんさん、あのな、年寄りは漬物石みたいなもんなんや。何にもしなくても、ドンとすわっているだけでいいんや。年をとった人はな、生きているだけですごいことなんや。」もう亡くなって随分になるのですが、このような声がその人の姿とともに思い起こされてくることがあるのです。いってみれば、亡くなった多くの人のいのちの言葉、言葉になったいのちがあなたの中に生きていませんか。と呼びかけているのが、このテーマではないかと思うのです。
これは何年前になりますか、京都である門徒の方のお葬式をした折のことです。葬儀が終わり、その日の夕方、お骨がえりのお勤めと、繰上げの初7日をお勤めし、「白骨の御文」を拝読しました。その後の食事の席で、亡くなった方の姉さんが「ごえんさん、あの御文を聞いていて、亡くなった父が毎日あの白骨の御文を読んでいたことが思いおこされました。子どもの頃、みんな後ろに座らされて、父のあげるあの御文を聞いていたんですよ。」と、このようなことを話されたのです。
思いおここしてみれば、私たちは実に多くの身近な人を亡くし、見送ってきました。そして、自分にとって縁が深ければ深いほど、その人の在りし日の姿とともに、多くの言葉、声が私たちの記憶の中に息づいているのではないでしょうか。つまり、その人の言葉、声がいのちとなってこの私の中に生きている。そして時に生きる道を教えられ、生きる勇気が呼び起こされてくるのではないかと思います。
実は親鸞聖人という方が、若き日、法然上人から聞き取った、その言葉、声をいのちとして生涯を生きられた人なのです。ご承知のように、親鸞聖人の弟子の唯円という方が、自分の耳の底に残っている聖人の言葉を書き残した「歎異抄」という書物の中に、そのことが記されています。それは「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人の仰せをかぶりて信ずる他に別の子細なきなり」という言葉です。これは、親鸞聖人の声であるといっていいのでしょう。
関東から命がけで、はるばる京都の聖人を訪ねて来られた門弟の方々に語った一節です。「私親鸞においては、ただ念仏申し阿弥陀仏に助けられていってくださいというよき人法然上人の仰せ、お言葉をこの身にいただいて信じて生きる、その他に特別なことがあるわけではありません。」このようにきっぱりとご自分の生きる姿勢、信心のあり様を述べられているのです。
つまり親鸞聖人は、師法然上人の仰せ、声を生涯にわたって聞き続けられ、その一言に教えられ続けたのです。法然上人の一言はいのちの声であったのです。「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という仰せ、声がいのちとなって親鸞聖人の中に生き続けたのです。そのいのちの声を、生涯にわたって、様々な出来事を通して、聞き続けていったのです。
私たちは多くの亡き人の声、言葉、そして現に今関わりあっている友人とか、身近な人々の声、言葉を聞いております。そしてそのことを通して、いろいろ考えさせられ気づかされています。そのことは実は深い意味をもっているのではないでしょうか。それなのに私たちはそのことを軽く浅く受け流し、通り過ぎているのではないかと思うのです。そんな生き方を問い返す言葉が「今、いのちがあなたを生きている」という呼びかけではないでしょうか。
6回にわたった私のお話はこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

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