ラジオ放送「東本願寺の時間」

花山 孝介(三重県 遍崇寺)
第2話 今、いのちがあなたを生きている [2006.5.]音声を聞く

おはようございます。今回も「今、いのちがあなたを生きている」という宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマを念頭におきながらお話を進めて参ります。
さて、今日の社会状況を見ると、目を覆いたくなるような悲惨な事件や、人間の常識では理解に苦しむような事件が毎日のように起こっています。かたや、ここ近年新聞やテレビなどでも報道されるようになりましたが、毎年自らいのちを絶たれる方が後を絶たないことも今の時代の大きな問題になっています。目まぐるしく移り変わる日々の生活の中で、安心する暇も無く、次から次と問題や事件が起こっています。その様な中で、今多くの子どもたちの中で不登校や引きこもりという問題も深刻な問題としてあります。
私は、不登校をきっかけに家の中に引きこもって生活していた息子さんとお母さんと話をする機会がありました。特にお母さんが心配されて相談に来られたのですが、私自身もそれにお答えできるような力もなく、ただ話を聞いているだけでした。息子さんが学校に行かなくなった経緯については、いろいろと家庭の事情もあったそうですが、それ以上に息子さん自身と話をしている中で、ハット教えられたといいますか、厳しい指摘を受けたように思えたことがありました。それは、どの様なことかといえば、息子さんが学校に行かなくなった時の様子を話してくれた中で、何時も母親から「今学校に行かないと、これからの人生が駄目になる。少しくらいしんどくても、これからの人生のことを考えれば、今何とか勉強してそれなりの学校を出ておかないと、後で困るのは貴方自身ですよ」と何度もいわれたと。その言葉を繰り返し言われるたびに、その息子さんは「母は今の自分を見てくれない。今の自分を分かろうとしてくれない」と感じたそうで、それ以降は余り母親と会話をすることがなく、それから部屋に閉じ籠もったそうです。今は、多少立ち直って社会に復帰する為に努力しているそうですが、あの時の母の言葉は今でも忘れられないといっていました。
私は改めて彼の言葉を考えました。私たちのいのちそのものは「今」という一瞬一瞬を生きているのでしょう。しかし、その事に気づくこともなく、また今生きていることへの感動もなく、常に自明のこととして過ごしている。その大事な「今」が本当に「今」という内容ではなく、未来のために「今」が費やされているということでしょう。それはまさに、「今の喪失」という意味を表しているのではないでしょうか。
私にも三人の子どもがいます。それぞれに年齢も性格も違いますし、考え方もそれぞれです。ただ共通しているのは、子どもは「今」という時間を精一杯生きているということです。しかし、大人の私はついつい未来に対する心配を口にしてしまいます。親としては致し方ないという思いもありますが、いのちそのもののからすれば「今」という一瞬を精一杯生きる以上に何かを求めているということはないのでしょう。しかし、現代の私たちの在り方は、全てが未来への準備のために「今」という時間が費やされているようです。その中で、自分を失い居場所を失い時間を失い、更にはお互いの関係性を見失って生きているところに、現代の私たちの悲しさ・問題があるように思います。

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