ラジオ放送「東本願寺の時間」

東舘 紹見(仙台教区 善林寺)
第1話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して― [2006.6.]音声を聞く

おはようございます。今日から6回にわたって、お話しをさせていただきます。
今回の放送では、私たちの人生の先輩として、人びととともに歩んでゆかれた親鸞聖人が、鎌倉時代という時代を生きる中で、その生涯を尽くしてどのような課題に向き合ってゆかれたのか。またそこで何を明らかにされ、私たちに何を指し示してくださっているのか。そのことを、宗祖親鸞聖人750回御遠忌のテーマとして掲げられている、「今、いのちがあなたを生きている」という言葉との関わりの中で、考えてまいりたいと思っております。
親鸞聖人は、9歳から29歳までの間の比叡山延暦寺での修行、またその後の35歳までの法然上人のもとでの聞法を経て、越後と関東という京都から遠く離れた地で25年間の生活をされました。そして、その生活の中でうなずき聞き取られた教えを、『教行信証』という書物に記してゆかれました。その『教行信証』の中に、正信偈と呼ばれる漢文で書かれたお歌があります。その正信偈の一番はじめに、「帰命無量寿如来南無不可思議光」というお言葉があります。
「帰命無量寿如来」と申しますのは、「無量寿如来に帰命する」ということであります。「無量寿如来」とは、無量なるいのち、はかることのできないいのち、つまり、私たち人間の考え出す知恵によっては、とてもはかることのできない、限りないいのちのはたらきという意味であります。私たちや、あらゆる生き物がいただいている生命(せいめい)としてのいのちを含めて、それぞれが互いに支え合い、つながり合って存在している、かぎりないいのちのはたらきという意味です。「帰命」とは、そのかぎりないいのちのはたらきを心から尊敬し、心から信じて生きてゆきます、という意味であります。また、「南無不可思議光」と申しますのは、「不可思議光に南無したてまつる」と読みます。ここでは、はかることのできない無量なるいのちのはたらきが、私を照らす光にたとえられています。私が持っている、どこまでも暗くて冷たい、深い心の闇をはっきりと照らし出してくださり、そして私を本当に暖かくしてくださる、そうした、私の思いを超えたいのちのはたらきを「不可思議な光」、「不可思議光」と呼ばれたのであります。「南無」とは先ほど申しました「帰命」という意味の、古いインドの言葉であります。また、この「帰命無量寿如来南無不可思議光」という意味をあらわした言葉が「南無阿弥陀仏」であります。
親鸞聖人は、人間がはかることができないいのちと、そのいのちが人間のあり方を照らしてくださるそのはたらきを心から敬う私たちの生き方を、「南無阿弥陀仏」として、最も尊いこととして、仰いでゆかれたのです。
親鸞聖人は、今から約800年前、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけての時代を生きられた方であります。この時代は、多くの人々が、その多少はありますが、自分の財産や権利といったものを持つことができるようになった時代でした。そして、そうしたことができるようになったからこそ、人間のもつ限りがない欲望、暗く冷たい心の闇が、一層深く人びとに実感された時代でもありました。現代の社会を「今」として生きる私たちも、本当に、毎日、様々な事件、問題を引き起こしておりますが、親鸞聖人が生きたその時代も、まさに、悲しく傷ましい人間のあり方が社会の前面に立ち現われてきた時代だったのです。しかし、親鸞聖人は、そのような時代であればこそ願われる、本当に悔いることがない唯一の道として、阿弥陀仏の御名を称えつつ生きる生き方を、人びととともに、一歩一歩、生涯をかけて、聞き開いてゆかれたのです。これから6回にわたりまして、親鸞聖人の生涯とその生きた時代をたずねながら、そこで親鸞聖人がどのような問題にゆき当たり、その中で、この「南無阿弥陀仏」という、はかりないいのちとひかりとを、敬い仰いで生きる、という生き方に出遇い続けてゆかれたのか、たずねてまいりたいと思っております。

第1回第2回第3回第4回第5回第6回