おはようございます。前回の放送に引き続き、親鸞聖人のご生涯を通して、「今、いのちがあなたを生きている」というテーマを考えてまいりたいと思います。
親鸞聖人の生きた時代は、それまでと比べて、多くの人々が、多少の差はあるにせよ、自分の財産や権利を持ち始め、それまでよりも、人びとがそれぞれの場で活動できる部分が大きくなっていった時代でした。
しかし、そうであるがゆえに、逆に自分のことは自分でしなくてはならない、現在の言葉でいえば「自己責任」という言葉であらわされるような考えが一般化してゆきました。財産や権利を持った人は、それを、さらに大きな権力や武力を持った人に守ってもらおうとし、一層大きな権力が作られてゆきます。また、それができなかった人びとは、他の人びとに使われたり、社会のつながりから排除され、厳しい扱いを受けるようになっていったのです。
このような時代に、親鸞聖人は、主に学問をになった中流貴族の家に生を受けました。しかし、平安から鎌倉にかけての時代の流れの中で、家の存続は難しかったようで、親鸞聖人の兄弟はすべて、当時の有力な大寺院の僧侶になっています。長男であった聖人も、9歳の時から、天台宗の本山、比叡山延暦寺で仏道を歩み始めたとされています。いわば自分自身の選びに先立っての僧侶としての出発でした。
聖人が学んだ天台宗は、伝教大師最澄以来、あらゆる人々は平等に仏となれる、すなわち、同じ一つの乗り物に乗って進むことができるという、「一乗」という尊い教えを根本にしています。いわば家の事情から仏道を歩み始めた親鸞聖人でしたが、この一乗の教えに正面から触れ、すべての人びととともに歩む教えの尊さを心に刻んだものと思われます。
しかし、同時に親鸞聖人は、そうした比叡山で学びを深めてゆくうちに、すべての人びととともに同じ道を歩もうという教えと、自分自身の置かれた立場や実際の心のあり方とに、根本的な食い違いを感じるようになったのです。
当時の仏教界では、一部の選ばれた僧侶が、結婚や生産活動などの一般の生活を止め、特別な修行を重ねることになっていました。しかし、そのようなことは様々な条件が整った本当に一部の人にしかできないことです。そうした生き方は、平等な道を歩もうとしながら、結局のところ、それに背むく生き方になるのではないか。そして、そのことを確かめずに歩み続けるなら、ついには、仏教を学んでゆくことによって、自分を一般の人とは違う特別な存在に押し上げ、その自分に都合の良い教えを人びとに説いてゆくことになってしまうのではないか。それは、自分と他を分断し、ひたすら自己主張しなくては生きてゆけない、当時の社会の悲しく傷ましいあり方そのものであるばかりか、仏教の名のもとに、さらに人をあざむいてゆくことにさえなってしまうのではないか。しかも、最後までその道を歩んだからといって、自分自身がさとりに到達できるかどうかすら、確かではありません。
すべての人びととともに歩むという仏教の精神を求めながら、実際にはそのことを実感できず、ますます自分の思いの中で悩み続けてゆくことしかできない。仏教を学べば学ぶほど、親鸞聖人は、すべての人びととともに歩む、どころか、まずそれが自分自身の生き方の上にどう実感されるのか、ということがわからなくなったのではないでしょうか。
尊い理想を仰いではいるが、その理想に向かって歩もうとする自分自身の足元がまったく見えていない、ということに気づいたのです。
足元とは、文字通り、具体的な私たちの毎日の生活の中にこそあるものです。「道はちかきにあり、しかるにこれを遠きに求む」というお言葉もありますが、親鸞聖人もまた、自分自身の歩むべき道を、闇に閉ざされた自分中心の心が作り出した世界に求めるあり方から、具体的に人や日々の出来事と出遇い、その問いかけに耳を傾け確かめてゆくあり方の中にこそ、聞き開いてゆかれたのであります。