ラジオ放送「東本願寺の時間」

山口 知丈(大阪府 昭徳寺 住職)
第5話 あるがままを生きる [2006.8.]音声を聞く

おはようございます。先回は「つながりを生きる」という題で、確かな宗教的信念を獲得された人として知られる明治の仏教者清沢満之先生の「親は子の親なり。子は親の子なり。絶対の親ありや、絶対の子ありや。」という言葉を通しまして、「親と子のつながり」について尋ねてみました。
私たちは自分の姿に徹底的に暗いこと、すなわち根本煩悩である「無明」ですが、これに染め抜かれた存在で、そのため、親子、兄弟、夫婦、友達というかけがえのない関係をときには邪魔なもの、人生の障害物とさえ思い込んで、自らを省みるご縁をいただかないならば、恨みのなかに、愚痴のなかに、大切な一生を終えていく存在であるようです。今日は、今度は逆に子どもの立場に立って、子どもであるものがどんな課題を抱えているかについて尋ねてみたいと思います。紹介しました清沢先生の言葉から拾い上げるならば
「子は親の子なり」「絶対の子ありや。」
という部分です。
この問題を考えていこうとするときに、大変示唆に富んだお話があります。これは、実は中学2年生の教科書にありましたものなのですが、内容も素晴らしいのですが、それをこれから長く、そして色々なことが待ち受けている子どもたちへの教材として選ばれていることに、私は「有難いことだなあ」と、感謝しているものなのです。
それは、「神様がくれた贈り物」というタイトルのお話で、寺島尚彦さんが作詞された「さとうきび畑」という題の歌などで広く知られることになった、テノール歌手・新垣勉さんのこれまでの半生を紹介するものです。
新垣さんは、1952年沖縄米軍基地に所属していた米兵の父親と日本人の母親との間に生まれました。しかし生後まもなく助産師のミスで劇薬を点眼され失明されます。ところが、父親はアメリカ本土に戻りその後行方不明。母親もすぐに地元の人と再婚しおばあさんを母として育てられました。そのような環境のなかで、新垣さんは中学生のときには自暴自棄になり、井戸に飛び込んで死ぬことまで考えたそうですが、そのときに牧師の城間先生と出会い、
「僕を捨てた両親と、目をみえなくした助産師を探し出してでも殺してやりたい。」
と罵る新垣さんを城間先生はジッと黙って涙を流しながら聞いてくれたそうです。
その後、新垣さんは大学の神学部を卒業するのですが、好きだった歌の勉強をするため武蔵野音楽大学に進学されます。そして歌の勉強をはじめたとき、オーディションで審査員から
「君の声は日本人離れした声だ。」
とほめられたので、父親がラテン系の米国人だったと話すと
「その声は宝物だ。神様からの贈り物だ。」
と言われたのだそうです。そのときの新垣さんの胸の中の思いを新垣さんは、こう語られています。

「沖縄の血とラテンの血、その両方の情熱が自分の中にある。歌い続けているうちに、両親への許しと感謝の気持ちを持つようになりました。今、私は、いろいろな人との出会い、そして時間を経て、あるがままの自分を受け入れ、今、自分の置かれている状態がベストなんだと受けとめています。もし私の目がみえていたら、本当に父母を殺していたかもしれない。大学で勉強していなかったかもしれない。自分に「生きる」ことが許されているのなら、自分にしかできない生き方をしたいと思っています。」

いかがでしょうか。自分に出会うこと、自己の徹底的な学び、そこにもたらされる本当の安らぎ。それが仏教の一番の目的ですが、それがどんなに大変なことであるか。「あるがままの自分を受け入れ」て生きること、このことの難しさと大切さを新垣さんは私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
それはまた、明治の仏教者、清沢先生の確かな宗教的信念の獲得を告げる言葉として紹介されてきた、

「自己とは何ぞや。是れ人生の根本的問題なり。自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に此の境遇に落在せるもの、即ち是なり。」

という言葉で教えてくださっている「いのちの本来的な在り方」なのではないでしょうか。
今、紹介しました清沢先生の「自己とは何ぞや」という問いかけに始まるこの言葉は、清沢先生の「臘扇記」という日記のなかに記されました、先生の「信念の確立」を告げるものなのです。特に「此の境遇に落在せるもの」という言葉、「落在」とは「落ちて、在る」という意味ですが、「いのちの本来的な在り方」に帰ったときの安らぎを教えてくださっていると思われます。

*引用文には歴史的仮名遣を現代仮名遣いに改めた箇所があります。

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