おはようございます。 「今、いのちがあなたを生きている」という宗祖親鸞聖人750回御遠忌テーマについて、「出遇わずにおれないいのち」という視点から、お話しさせていただきます。 前回のお話の中にあった「あなたはあなたであることにおいて尊い」という言葉をモチーフにして、地元の僧侶の仲間と、ポスターやチラシを作ったことがありました。そのチラシに、与謝野晶子(あきこ)の歌が取り上げられています。 1904年―明治37年、2月8日、日露戦争が始まりました。その年、文芸誌「明星」の9月号に、「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」として、与謝野晶子の八行五連の長詩「君死にたまふこと勿れ(なかれ)」が掲載されました。最も有名な最初の一連です。
あゝをとうとよ、君を泣く、 末に生まれし君なれば 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺して死ねよとて |
君死にたまふことなかれ、 親のなさけはまさりしも、 人を殺せとをしへしや、 24までをそだてしや。 |
この後に、「すめらみことは、戦ひにおほみずからは出でまさね」という言葉もあったため、当時の有力な文芸評論家・大町桂月が雑誌「太陽」で「危険である」と批判しました。当時25歳だった晶子は、「明星」11月号に「ひらきぶみ」を発表し反論します。
歌よみならひ候からには、私どうぞ後の人に笑はれぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき |
わたしなりに現代語にしてみますと、
歌よみとして歌をよむからには、後の人にまことの心を歌っていないと笑われないよう、まことの心を歌っておきたいのです。まことの心をうたわない 歌に、何のねうちがあるでしょう。 |
晶子が言うように、まことの心をうたった歌だからこそ、百年以上たった今も、色褪(あ)せず輝いているのでしょう。
晶子の弟は新婚でした。そのことをうたった最後の一連です。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く 君わするるや、思へるや、 少女(おとめ)ごころを思ひみよ、 あゝまた誰をたのむべき |
あえかにわかき新妻(にいづま)を、 十月(とつき)も添はでわかれたる この世ひとりの君ならで 君死にたまふことなかれ |
現代語にしてみますと、
暖簾のかげに伏して泣く 忘れているわけはないだろう おとめごころを思ってみよ ただひと筋に待っているのだ |
かよわく若い新妻を 十ヶ月も暮らさず別れ別れになった この世に一人の君だけを 君よ死んではいけない |
「この世ひとりの君」とは、直接的には晶子の弟のことですが、人は誰もがこの世ひとりの存在です。くらべることを超え、代理がきかない、そして遇いがたい、「あなた」として生まれてきたいのちなのです。
仏教では、人間の心の作用である煩悩を、深く見つめます。煩悩とは、仏さまといわれる、いのちの本当の姿に目覚めた人の目からみた、人間の迷いの姿です。そこに「誤った考え方を真実だと掴(つか)んで離さない迷い」ということが説かれます。戦争は国中の人間をそのような迷いに巻き込むのではないでしょうか。戦争をする時には、かならず、「この戦争は正しい戦争だ。なぜなら」と理由を立てて正しさを主張します。それは本当に正しいのか。正しいと主張しているだけではないのか。正しい戦争なんてあるのか。仏教の教えはそういう疑問をもたらします。
この冬話題になったクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙」に、「悠久の大義」のためにと訓示するシーンがありました。それを自己肯定的に見るのか、疑問としてみるのか、そういう身近な問題も、仏教の問題ではないでしょうか。