ラジオ放送「東本願寺の時間」

池田 理(兵庫県光照寺)
第1話 生きていてよかったといえる人生 [2007.8.]音声を聞く

おはようございます。今日から6回にわたって「今、いのちがあなたを生きている」という、宗祖親鸞聖人750回御遠忌テーマについて、ひごろ感じていることをお話させていただきます。
今年の5月19日に、姫路船場別院本徳寺で、仁愛大学教授・蓑輪秀邦氏の講演を聞きました。「人間は何のために生きているのか」というテーマでした。学問的な内容になるのかと思っていましたが、たいへん親しみやすいお話でした。
蓑輪氏は、若い時に結核に罹り、その人生を終わろうとしていた時、特効薬、ペニシリンが開発され、お父さんがそれを苦労して手に入れてくれたお蔭で助かったそうです。そういう体験をしてから「人間は、何のために生きるのか」という問いをもつようになったそうです。そして今日まで、その問いを問い続けてこられたそうです。氏は、この問いは、素朴で、誰もが生活の中でふと漏らすようなものだけれど、生きていくうえで必ず直面する最も大切な問いであり、だから、この問いを問うことから、ほんとうの喜びを求めるあゆみが始まると、語られました。
そのわかりやすい例として、氏は講演の中で、山田洋二監督の『男はつらいよ寅次郎物語』に言及されました。最近、講演先のホテルで、何気なくテレビを観たら、放映していたそうです。それは、妹・さくらの一人息子・満男が、ある時、「人間は、何のために生きているのかな?」と聞いたら、寅さんが「そうだなあ、人間、生きてりゃあ、悲しいことや苦しいことが多いけれど、生きていて良かったってことが、一度や二度、あるんじゃないか。だから生きているんじゃねえか!」と応えた。そのやり取りを観ていて、蓑輪氏は山田洋二という監督は、すごいなあと感じられたそうです。お話を聞いて私も、なるほどと思いました。
しかし私は、じゃあ、「生きていてよかったってこと」はどんな事かなあ、と問い返してみましたが、直ぐには思い浮かびませんでした。思い浮かんだのは、あるお婆さんが亡くなられたときのことでした。その事を思い出しました。そのお婆さんは90歳近い方で亡くなられる1年ほど前に、家族の方からの電話で「母が入院しましたので、しばらく月参りをお休みしてください」とのことでした。それからお会いしていなかったので、つまり私にとってお婆さんと最期のお話をしたときのことになります。
電話の数ヶ月前からデイサービスに通うようになっていたのは、聞いていました。「ここ最近、風邪をひいてしもて、ひと月ほど、デイサービスを休んでお医者さん通いをしたましたんや。それで、この間、久しぶりにデイサービスに行きましたんや。ほしたら、最近顔見知りになった方が、うちの顔を見るなり「あんた、何でこなんだんや!うちはどんだけまっとったか!何しとったんや!」いうて、えらい怒るんですがな。私は、「うちは、風邪ひいてなあ、あんたらにうつしたらあかん思って、医者通いしてたんや。やっと治ったさかい出て来たんや。電話しとったのに、伝わってなかったんかいな。えらい心配かけて、すまんかったねえ。」いうて返事しているうちに…、ご住職さん、私、うれしかった。私みたいなもんでも、まだ役に立つことがあったんかいなあ、思うて、うれしかったですわ」と、にっこり、よろこんで、話してくれたのでした。
「生きてて良かった」って、感じられたのじゃないかな。またその時のおばあさんの姿が、「今、いのちがあなたを生きている」という言葉に重なるのを感じます。にっこり、喜ぶ姿、そうさせる何かがそこにはたらいているのでしょう。
年を取ることは、必ずしも周囲から嫌がられることばかりではありません。ことわざに「亀の甲より年の功」とあるように、経験の豊かさなどが尊重されることもあります。また国によっては、この考えが生きていて、年寄りが尊重され、喜んで迎えられることもあるようです。ただ、誰でもとはいかないのでしょう。
しかし、いつでも自分を待っていてくれて、迎えてくれる、その事は、誰にとっても願われていることです。今、この時、お婆さんにはそれが感じられたのではないでしょうか。「うちはどんだけまっとったか!」のこの一言が、知らず知らずのうちに、自分を閉じ込めていた重苦しい自分の思いを破ったのでしょう。「こんな私なんかを、待って迎えてくれる人など、どこにも居ない」という自分の思いを。
この世間を生きているもの同志が陥り、閉じ込められあっている思いを打ち破ったのではないでしょうか。

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