ラジオ放送「東本願寺の時間」

池田 理(兵庫県光照寺)
第6話 汝 無量寿に帰れ 無量寿に帰って 無量寿を生きよ[2007.9.]音声を聞く

おはようございます。宗祖親鸞聖人750回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」について、日頃感じていることを話させていただきます。今回は6回目です。
「汝無量寿に帰れ無量寿に帰って無量寿を生きよ」
この言葉は、以前、東本願寺の学校・大谷専修学院の院長であった信國淳先生からお聞きしました。「無量寿」とは仏さまの名です。「量ることのできない、いのちそのもの」という意味をもつ名前であります。a-mita、量ることの出来ないいのちという意味です。私たちお互いが同じひとつの無量寿を生きていることに目覚めるときこの仏さまの名前は、私にとっても、どんな人にとっても、自分に帰る言葉となるのです。
というのは、大谷専修学院に学んでいるとき、「自分というものががよくわからない」という、たいへんやっかいな問題を抱えていることを知らされ、そして、どうしたらいいのかという、そういう思いにとりつかれたようになりました。しかし、どうにもならないことが、思い知らされるばかりでした。今回は、そのことについてお話してみたいと思います。
4回目にも取り上げました信國先生の本に、次のような一文があります。
「ではそのように自己と他人が摩擦しあい、傷つけ合わねばならぬという、その根本の原因は、いったいどこにあるのかと云うと、それは別にどこにあるというのでもなく、ただ私どもが我を我として意識する、その我の意識にあると云うべきものでありましょう。何しろ私どもの我の意識においては、自分と他人がはっきり対立していますし、私どもの我の意識をもってする限り、どんな自他の結合といっても、結局対立的な関係でしか関係できぬわけであるから、それがいかに堅く、いかに一つに結合されているように見えるにしても、そこには、何時背きあうことになるかも知れぬ必然が、常に潜んでいるのだと云わなければならぬのです。」
信國先生から、以上のように云われてみて、私は初めて、「我を我として意識する、その我の意識」といわれるものに戸惑うことになったのでした。それからは、何をしても、思っても、全てがこのこと、この「「我の意識」とは何か」、という問いに収斂されていったのです。
つまり、私たちが互いに摩擦しあい、傷つけあうその根本原因が「我の意識」にあるのだといわれたので、何とかして克服しなければ、と思ってみても、いまひとつ「我の意識」というものの実感がないというのが、私の抱えることになった課題でした。
そんなある日、ふとしたことから、その「我の意識」らしきものに、その意識で生きている自身の姿に出くわしたのです。「そうか、こういうものなのか」と、それに気付いたことをたいへんうれしく思いました。ところが私は、その「我の意識」というものに気付いたことで、いつしか天狗になっていて、周りの人を見下すようになっていました。そして、そういう全体が「我の意識」だと教えられ、指摘されるまで判りませんでした。ところが今度は、気がつけば、また、何とかして克服しなければ、と思ってしまう、繰り返しになるのでした。出口の無い、ただ苦しいだけの、意識する生活でした。
そのようにして、私は、「我の意識」を拠り所にして生きるという、したがって、いつも摩擦しあい、傷つけあってしまうという、そういう問題を起こす根本原因を抱えていることに、だから、そんな自分は自分とできないことに、悩まなければならないことになったのでした。
このような「我の意識」を拠り所にした私の、そして私たちの、この世で生きる生き方を、信國先生は次のように言われました。
「自分の愛しうる自分は自分のところに在らずして、自分のところにあるものは、いつもただ厭うべき自分のみだということなのです。そしてそうなると、私どものこの世で生きるということが、実に奇妙なことになるのであって、私どもは嫌な自分からそっぽを向き、いつも自分自身から逃げ出すような格好で、何のためだか分からぬが、嫌々一生を過ごすということになってしまうのであります。」
このように信國先生が指摘されている事実を、私は、今こそ、はっきりと教えられ、自覚しなければならないと痛感するのです。「汝無量寿に帰れ無量寿に帰って無量寿を生きよ」との教えは「我の意識」を拠り所にしているこの私に向かって、同じひとつの量ることのできないいのち、無量寿を生きていることに目を覚ませと、呼びかけ続けられていた呼びかけであったのです。この呼びかけに呼びかけられ続けていることを、「今、いのちがあなたを生きている」と受け止めていいのではないでしょうか。

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