ラジオ放送「東本願寺の時間」

多田 孝圓(大阪府 圓乗寺)
第1話 いのちの私 [2007.9.]音声を聞く

おはようございます。今日から6回にわたって宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマである"今、いのちがあなたを生きている"という呼びかけについて、どのように聞かせてもらっているのかをお話させていただきます。よろしくお願いいたします。
只今は、真宗大谷派の本山東本願寺では、2011年、平成23年に、浄土真宗をひらかれた親鸞聖人の七百五十回御遠忌がつとまりますが、その記念事業として親鸞聖人の御木造である御真影が安置されています御影堂のご修復という大事業が順調に進められています。その御遠忌の願いとしては浄土真宗の開祖であります親鸞聖人にどのように出遇っていくのか、一人ひとりに呼びかけられています。それを「宗祖としての親鸞聖人に遇う」として挙げられています。
それは親鸞聖人が90年のご生涯をかけて、私達に何を明らかにしてくださったのか。そのことをこの私が、今、聞かせていただかなければなりません。自身に問うてくださっていることとして、受けとめてまいりたいと思います。
そのテーマとして、掲げられていますのが、"今、いのちがあなたを生きている"ということです。このテーマを聞かれて皆さんは、どのように思われたでしょうか。「今、いのちが」ですので、「いのち」が主人公です。「私」が主人公ではないのです。「私のいのち」でなく、「いのちの私」として示されています。今、いのちがあなたとなって、私となって生きてはたらいてくださっていると、私はまず聞かせてもらいました。
「いのち」ということについては、いろいろと意味があると思います。特に今は、いのちが軽視され、簡単に奪われ、殺され、国の内外を問わず、いのちの尊さを見失っている悲しい現実があります。戦争や事件、自然破壊、地球環境の悪化等によって、人間をはじめあらゆる生をいただいているもののいのちが危うくなってきております。
仏教では、因縁果の道理、それは原因と条件と結果ということですが、お釈迦様は縁起の法とおっしゃっています。その因縁果の道理で、「今」という時代を捉えます。特に戦後62年、私達が歩んできた有り様が現在という時代をあらわしております。そこには、我が思いや考えによって、何にでも対応でき、手に入れるという果てしない欲望が根にあります。それは、あらゆるものごとの中心を人間においた姿です。
そこに人間の闇が生まれ、時代の闇を生み出していることを背景として、このたびの御遠忌テーマが設定されたと聞いております。
"今、いのちがあなたを生きている"ということについて、気付かせてもらったことからお話を続けますが、そこから、何が問われ、何が願われているのかを、少しでも出会うことになればありがたいことです。
まずは、今朝、目を覚ますことができました。真っ新のいのちをいただいたのです。それは、さまざまな条件が整ったからで、必ずという保証はないのです。今朝、ラジオで「東本願寺の時間」を聞いてくださるということは、誠に不思議な御縁であります。条件のことを縁といいます。その縁は、目に見えるもの、目に見えないものが無数にはたらいているのです。だから、不思議なご縁なのです。
浄土真宗のお念仏の教えを広く伝えてくださり、昭和46年に96歳で亡くなられました曽我量深先生は、「この私の出る息、入る息は絶対の一ト息でございます。これが絶対他力でございます」とおっしゃいました。「いのち」のことを、「息のうち」と言われます。呼吸であります。寝てるときも、起きてるときも、悲しみ落ち込んでいるときも、また、喜んでいるときも、いつも私の思い、感情にかかわりなく、はたらき支えてくださっているのです。この「一ト息」は、私が「オギャー」と産声をあげてから休まずずっと続いてくださっているのです。しかも、母のお腹にいたときは、ヘソの緒でつながって、母が一ト息をしてくれていたのです。私の一ト息は、両親の一ト息です。両親にもまた両親があります。ずっとさかのぼっていけばどれほどの親がおられたか。そのお一人でもおられなかったら、この私は今、存在しないのですから、「私のいのち」でなしに「いのちの私」であります。

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