ラジオをお聞きのみなさん、おはようございます。
本日より6回にわたり放送を担当いたします、北海道東川町・好蔵寺住職、両瀬渉でございます。
北海道の中央部に、日本一広大な「大雪山国立公園」がありますが、そのふもとの小さな町に私がおあずかりしている寺があります。そこでは毎年、「梵鐘とシンセサイザーの出会い」というイベントを10数年前から続けています。
静かに雪が舞う冬の深夜、境内にはBGMとしてシンセサイザーの音楽が流れます。
この音楽は、毎年テーマを決め、友人の作曲家が制作し生演奏をしてくれたり、テーマにあった曲を私がさがして流しています。今流れているのが、第1回目・1992年のテーマ曲で、北海道在住の作曲家・佐々木義生(ささきよしお)さんが制作した「悠久」です。
鐘楼堂へは、雪をかためて作った階段をのぼって行きます。参詣に来た人には、鐘をつく順番が書かれたカードと、108番目の方までは干支にちなんだ記念品が手渡されます。この記念品は、町内在住の陶芸家が毎年制作してくれるのですが、干支をかたどった「お箸おき」です。
鐘は参詣に来た人たちが、「行く年と来る年」への思いを込め、一人ひとりについてもらいます。家族連れや若いカップルなど大勢の人がやって来ます。通常、「除夜の鐘」は人間の煩悩の数、108回をつくのが習わしですが、私のお寺では、毎年500から600回くらい鐘の音が響き渡ります。
「除夜の鐘」にひきつづき、元日0時半より本堂で、新年をお迎えするおつとめ、「修正会(しゅしょうえ)」がつとまります。おつとめと法話の後、最後は「お楽しみ抽選会」があります。最初に手渡された鐘をつく順番が書かれたカードが、今度は抽選券となります。賞品は、地元でとれた新米やご近所の農家の手づくりのみそ、お豆腐屋さんの「豆腐引換券」などさまざまです。この賞品を目当てに来る人も少なくありません。恒例となったこの行事は、こうしてご門徒や地域の人々によって支えられ続けてきました。
ところで、この鐘楼堂には悲しい歴史があります。私が子どもだった頃、鐘楼堂には釣り鐘はありませんでした。そのかわり、大きな石が釣られていました。子ども心に、何とも不思議だなと思っていました。そのわけを、後に祖父が語ってくれました。釣り鐘は、戦時中大砲の弾などにするため供出させられたのだということでした。祖父は、「どうか大砲の弾などにはならず、できることなら無事に帰ってきてくれ」と手を合わせて見送ったと言っていました。しかしその後、釣り鐘は、寺にもどることは二度とありませんでした。
こうして、不本意とはいえ、私たちは戦争に協力し、荷担する道を選んでしまったのです。このような過去の歴史を反省し、私たちの宗門・真宗大谷派では、1995年に「不戦決議」がなされました。
その戦争が終わってから30年以上たった1982年に、ご門徒や近隣の有志の人々の協力を得て、わたしたちのお寺の釣り鐘が再建されました。それ以後、大晦日には「除夜の鐘」をつきに、地域の人々がたくさん集うようになりました。
釣り鐘再建へと導いたのは、戦争という残酷で悲しい歴史を忘れることなく、そして今の私たちの平和な社会をしっかりと守っていこうという、有志のみなさん一人ひとりの「願い」からだったのです。北国のお寺の釣り鐘は、去年の大晦日にも、私たちにその「願い」をいつまでも、そしてどこまでも届くように響き渡りました。