ラジオをお聞きのみなさん、おはようございます。
私は多くの人に、「自分史」を書くことを勧めています。「自分史」の制作は、各地の文化講座などでも取り上げられていますし、高齢者を中心に、静かなブームにもなっています。それで、定年退職をされた方や、還暦を迎えた方々に、年代ごとに自分自身のできごとを書き込むことができるようになっている市販の「自分史の本」をプレゼントしてきました。
すでに何人かの方は実践され、なかには立派な装丁の本にされ出版された人もいます。どの作品も、その人自身の経験であり、その人自身のオリジナル作品なので、その人の息づかいのようなものが感じとれます。その人の人生は、誰にも代わってもらえない、そして代わってもらう必要のないかけがえのない尊いものであり、自らの人生を振り返り、歩んできた道をあらためて確かめるということは、意義のあることだと思います。
私はすでに故人となられた、ある一人の方にも「自分史」を書くことを勧めました。ここでは、Aさんと呼ぶことにいたします。このAさんは、長らく町役場につとめておられました。その後も多くの公職につかれ、地域社会のために尽力されました。
Aさんは話好きで、お宅に伺った折には、そんな役所時代のなつかしい昔話などをよく聞かせていただきました。また、戦時中は兵役にもつかれ、シベリアで抑留生活も経験されています。捕虜の仲間の中でも、手先が器用なことをかわれ、上官の散髪やひげそりなどもさせられたそうです。つらく、厳しい生活を思い出しながら話されるのですが、いつも私はその話に聞き入っていました。
私はこのような様々な経験をされているAさんにも、是非「自分史」をまとめてほしいと思い、そのことを話しました。Aさんも同意され、シベリアの永久に凍った大地の厳しい寒さの中での生活を書き遺したいと、『凍土を越えて』というタイトルも決め、執筆の準備に取りかかりました。その後何度かAさん宅を訪れましたが、自らの記憶をたよりに、手に入る資料は取り寄せ、少しずつではありますが、「自分史」製作は進んでいるとのことでした。
2年ほどたったある日、そろそろ「自分史」も完成したのではないかと思い、Aさん宅をたずねました。Aさんは、5センチほどの厚さになった原稿用紙を書斎から持ってきて見せてくれました。ところが、Aさんの表情がどことなくさえない感じがしたので、そのわけを聞いてみました。
「記憶をたよりに、自分なりに書いてはみたものの、読み返してみると、これはどうも自分史ではなく自慢史になってしまっている。自分の経験に基づきながらも、真実の自分自身が描かれてはいない。友人やかつての職場の同僚からいただいた自分史についても同様のことが言えるのではないだろうか。」そのようなことを言われたのです。そして、「自分史」制作は少し見合わせるとのことでした。
私はせっかく取りかかっていた「自分史」制作が中断されることをとても残念に思いました。しかし、「自分史」を書き進めていくうちに、いつの間にか「自慢史」になってしまっていたことに気づき、自分自身をみつめて生きてきたAさんから大切なことを教えていただいたように思います。
「自分史」完成ということで得られる「達成感」よりも、「自慢史」になってしまった「真実の自分自身に出会う」というもっと大きな意味が、Aさんの「自分史」断念にはあったのです。