ラジオ放送「東本願寺の時間」

能邨 勇樹(石川県 勝光寺)
第3話 おばあちゃんたちとの出遇い [2008.5.]音声を聞く

おはようございます。
今朝も宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」をご縁にお話をさせていただきます。第3回は「おばあちゃんたちとの出遇い」です。
私事で恐縮ですが、現在多くの人の助けを借りて四つの会を主宰しています。そのうちの一つ、おばあちゃんたちと一緒にしている会があります。
今から十年ほど前ですが、お互い本音でしゃべれるようにと喫茶店で始めました。最初はぎこちなかったですが、今ではお互い気兼ねなくしゃべっています。このおばあちゃん方はそれぞれお寺で親鸞聖人の教えを何十年と聞いてこられた方ばかりで、話をしていてもいつも教えられています。すごいと思うのは、ほとんどの方が現在80才を超えているのですが、まず自分の言葉で語っていると言うこと、自分を問い返す力があるということ、よく笑うし感動もされるのです。
そういうおばあちゃん達と世代を超えて話し合おうと、他の会の2、20代の会と5、60代の会の人たちと、一緒に京都の東本願寺同朋会館という施設で一泊したことがありました。若い人たちからの感想で
「80歳になっても悩んでもいいんやね。悩むって大事なことなんやね。おばあちゃんみたいに年をとりたい」と言っていました。
そういうおばあちゃん方の中にNさんというおばあちゃんがいました。いつも元気だったのですが、今から7年ほど前でしょうか、病気で入院されました。みんなに尋ねると相当悪いと言うので、とにかく一度会おうと、お参りの帰りにお見舞いに行ったのです。
お会いするとNさんは大分痩せていて、とても痛々しそうでした。私の顔を見るなり起き上がって、訪ねたことをとても喜んでくれました。挨拶の後、単刀直入にお加減を尋ねると、寝ていても身体が痛いということ、あまり生命(いのち)が長くないことを話してくれました。そしてNさんは
「能邨さん、人間しまうのも業を果たさないとしまえないのよ。こういう手順を踏まないとしまえないのよ」というのです。「しまう」とは私どもの土地の言葉で生命(いのち)を終えるという意味ですが、顔が違うようにみんなそれぞれの生命(いのち)の終え方があるというのです。自分の場合はこのような痛みを経ないと終えていけないと言うのです。
またNさんは時間によってはとても痛くて念仏を称(とな)える気力も起きないというのです。しかしそのこと全てが私にとって「教え」だと言うのです。つまり健康な時はまだどこかで過信していて、自分の本当のすがたはわからない。病気で生命(いのち)を終えそうな時になって初めて自分はこれっぽっちもきれいな心はない。真実の心はないと思い知らされるのだそうです。だからただ南無阿弥陀仏を頂くしかない。謝するしかないと力強く仰っておられました。病気の身を通して頷いた真実を語ってくれたのです。
他にもいくつかの言葉を交わしたのですが、Nさんの身を通して語られた言葉は私の胸に深く深く響いてきました。
病気の身を最後まで自分として生きるということは、とても難しいことだと思うのです。せっかく頂いた「いのち」も最後まで意味を見いだせず、近年では「安楽死」など社会問題となって取り上げられています。その意味でいのちを全うするというのは大変なことですが、しかしNさんは確かにベッドで生きていました。病気の身を尽くしていました。Nさんを見ていて、私はどんないのちの相(すがた)になろうとも、最後の最後まで自分として生きたい。自分のいのちを真に尽くしたいと思わされたことです。最後に帰るとき
「衣を着てよく病院にきたわね。とっても大事なことよ、これからも頑張ってね」
と言われ、廊下にまで出て、ずっと私を拝んでお見送りをしてくれました。その姿が今も瞼(まぶた)に焼きついています。

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