おはようございます。
今朝も宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」をご縁にお話をさせていただきます。第5回は「人間回復の橋」です。
私自身ご縁を頂いてハンセン病問題に関わらせていただいているのですが、そのきっかけの一つに明石書店発行の伊奈教勝(いなきょうしょう)さんの『ハンセン病・隔絶40年』という本との出遇いがあります。
1996年に、いままでの法律が間違いであったとして廃止された「らい予防法」によって強制隔離された著者・伊奈さんが人間解放のメッセージをまとめられたものです。この本を読んで私は岡山県にあるハンセン病療養所に架けられた「人間回復の橋」について考えさせられました。
そもそも本来全く隔離する必要のなかった人たちを離れ小島に収容したのですが、その療養所と本土との間に1988年橋が架けられたのです。療養所の人たちは人間の権利を取り戻す橋として「人間回復の橋」と名づけました。ところが真宗大谷派の玉光順正(たまみつじゅんしょう)という先生は
「その橋は差別し隔離した側の橋、私たちの橋でもある。そして隔離した人間も隔離された人間も両方同時に回復しないと本当の回復にはならない」と話されたそうです。それを聞いて伊奈さんは
「世を捨てたつもりでここにいたが、そうではなかった。自分が本当に人間回復するためには、家族も故郷も回復しないと本当の回復にならない」と気付いたというのです。伊奈さんは自分なりに回復の橋を架けようと思われたのでしょう。具体的には本名を名告(なの)られました。しかしご実家の方では伊奈さんの存在が伏せてあって、もうすでにいないことになっていた。しかし名告られたことで岡山県の療養所にいることが分かり、その後親戚家族から受け入れられて、44年ぶりに故郷に帰ることができ、出遇いを果たされました。つまりその時に社会復帰・人間回復をされたのです。
伊奈さんが故郷に帰ることができてよかったことは言うまでもありませんが、私は本名を名告ることの方に思いを馳せるのです。本名を名告るということは橋を架けるということであり、決して問題が減るわけではありません。それどころか大きな責任と使命を背負うことになるのです。療養所の仲間からも
「わざわざ何故名告るのだ。今さら何故名告るのだ。」
と諭されたそうです。しかし伊奈さんは
「一回きりのかけがいのない「いのち」を尽くしたい。」
「いまのままでは何も変わらない。何もしなければ何も変わらない。」
「だめだというだけでは変わらない。」
そう思われて本当の自分を名告ったのです。つまり橋を架けるということにいのちを尽くされたのです。
振り返ると、私自身この「橋を架ける」ということを全くしていなかった自分に気付かされました。全部自分の世界に閉じこもっていただけです。例えば差別の問題であれば机上で
「差別心をどう克服できるか」
と考えていただけでした。しかしそんなこと100年していても何にも変わりません。伊奈さんが言うように、出遇えばいいのです。出遇うことで初めて始まるものがあるのだと教えられたのです。この本を読んで、現在自分なりに架け橋をかけたいと思い、少しずつ地元のみんなと一緒に場所を創っています。その場所から日々大事なことを深められ教えられています。そういう大事な出遇いをハンセン病問題から学んだことです。
現在そのハンセン病問題は将来どうするのかという「将来構想」が大きな課題となっています。ハンセン病療養所におられる方の平均年齢が80才近くになりました。今、住んでおられるこの療養所を、地域の医療や福祉に開放していくなどして、これまでの隔離施設を、これからの交流施設にすることが願われ求められています。
今こそ私たちは手を携えて人間回復の橋を本当の出遇いの橋にしなければならない時ではないでしょうか。