ラジオ放送「東本願寺の時間」

林 文照(岐阜県 林正寺)
第三回 真宗の出会い その3音声を聞く

 私どもの宗派は、真宗大谷派です。私自身が日常生活の中で、真宗を感じた出会いについてお話しさせていただいています。
 今年(2012年)8月25日に内閣府が発表した全国の成人男女一万人を対象にした「国民生活に関する世論調査」で注目すべきデータが示されました。「今後の生活で重視するものは、心の豊かさか、まだ物の豊かさか?」という問いに対し、「心の豊かさ」と考えている人は64.0%と昨年十月の前回調査よりも2.6ポイント増え、1972年に同じ質問を始めてから過去最高になったというのです。一方で「物の豊かさ」重視は前回より0.9ポイント減って30.1%でした。
 1970年代後半は、ともに40%そこそこで拮抗しており、物重視が心重視を上回っていた年もあったほどですから、両者の差が倍以上に開いたということは、日本人の精神的内面に相当な意識変革が起きたと言わざるを得ないでしょう。私たちの生活に直結する景気、とりわけ80年代後半からのバブル景気、そしてその崩壊から続く低成長時代、多くの犠牲者を出した阪神と東北の大震災など、この40年間の私たちを取り巻く環境が大きく変容したことが、意識の変革を促したのかもしれません。
この状況を端的に象徴しているのでしょうか、昨今は仏教ブーム、仏像ブームということが言われています。仏教に関する書物の発刊も多く、仏教の特集を組む雑誌などもよく目にします。また、仏像ガールと言って、素敵な仏さまを目的に巡拝に歩く若い女性もいるそうです。三年ほど前、東京国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」では、興福寺の阿修羅像を一目見ようと長蛇の列ができたことは記憶に新しいところです。こうしたことは、一過性のファッションなのでしょうか?それとも、人々が仏教に心のよりどころを求めている表れなのでしょうか。気になるところです。
 そんなことを考えていて、八年ほど前、京都国立博物館で、ご修復なったばかりの私どもの宗派、真宗大谷派が所蔵する国宝「顕浄土真実教行証文類」が展示された時のある出来事を思い出しました。この顕浄土真実教行証文類は、一般的には「教行信証」と略称されていますが、宗祖親鸞聖人がその思想の精髄をあきらかにされた書物です。わたくしどもの宗派所蔵の教行信証は、現存する親鸞聖人唯一の直筆本で、「坂東本」と言われています。宗祖の60歳前後と見られる筆跡が多いのですが、90歳のご生涯を全うされるまで手を入れて校正され続けられた、その思索の変遷を示す痕跡が本のそこかしこに残されています。この坂東本が宗祖の七百五十回御遠忌の記念事業として、解体されて、後代に手を入れられた部分も復元されて、オリジナルの状態になって展示されたのでした。
 さて、京都国立博物館での展示は、阿修羅展とは異なって、長蛇の列ができることも、入場制限されることも、若い女性が押し掛けることもなく、人気のない一室のガラスケースに入れてありました。私はおかげで落ち着いて拝見できると、ひと気がないのを内心喜んでいたところに、一人の老僧、ご年配の御坊様が入ってこられました。足がご不自由なのでしょうか、腰は曲がり、よろける体を両脇からご家族に抱えられていました。そして、ガラスケースに何とかたどり着くやいなや、取りつくようにかがみ込んで顔をこすりつけんばかりに、坂東本を拝読され始められたのです。時折、感涙のむせび泣きの声を上げながら。眼はひたすらに文字を追い、合掌を繰り返してみえました。「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、・・・」と、教行信証を読む老僧の途切れがちな声がひっそりとした室内に響くと、味気ない展示室が瞬時に信仰の気高い香りに包まれたように感ぜられました。私は何か尊いお姿を見せていただいたようで、深い感動を覚えました。
 どのような形であれ、仏教がブームとなっていることは、単なる知的好奇心や流行にとどまらず、心のどこかに現状に満たされない心があるということでしょう。「心の豊かさを重視したい」という先の統計のデータはそのことを示しているように思います。ご修復なった坂東本を拝読し、親鸞聖人の息吹に出遇えた感動を全身で表現しておられた老いた御坊様の姿は、まさに信心の喜びの姿そのものであったと思うのです。今、世間で繰り広げられているさまざまな仏教に関するものごとを通じて、一人でも多くの人が確かな信仰へと結びついていただければ、と思うのです。

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