ラジオ放送「東本願寺の時間」

大桑 齊(石川県 善福寺)
第二回 理念の具体化、和讃書き添え十字名号音声を聞く

 おはようございます。前回は、東本願寺を開かれた教如上人、このお方は、本願寺は慈悲を以って本とするという理念を持っておられた、と申しました。今回は、教如上人のその理念を具体的に現わされたものを、ご紹介いたします。「帰命尽十方無碍光如来」という十文字で、阿弥陀如来の別のお名前が書き顕わされた掛軸がそれです。十文字で仏様のお名前が書かれていますので、十字名号といいます。
 十字名号は、親鸞聖人が晩年に本尊として掲げられ、本願寺の歴代上人もこれを書写されました。その伝統を踏まえながら、教如上人は、仏様のお名前の両脇に、親鸞聖人が著された教えの歌である和讃、その文句を書き添えられました。このような和讃書き添え十字名号は、それまでに例がなく、教如上人が初めて用いられた様式で、そこには慈悲の家本願寺という理念が籠められています。もう少し詳しく申しましょう。
 尽十方無碍光如来というのは、阿弥陀如来の別名ですが、その如来が放たれた光が十方を覆い尽くし、何者にもさえぎられることのない、という意味です。阿弥陀如来は、お浄土にだまって座っておられるのではなく、私たちが生活しているこの世界へ姿を現し、煩悩にまみれ、悪逆を尽くして生きている私たち、その迷いの姿を光で照らし出し、包み込み、煩悩の身のままで、必ず救うと、はたらいておられる、このようなことを意味しています。阿弥陀如来が私たちの世界ではたらいておられる姿、その慈悲を現す姿、それが帰命尽十方無碍光如来という十字名号なのです。慈悲の家本願寺にふさわしい名号です。
 けれども、十字名号だけでは、私たちは、その意味を知ることがなかなかできません。そこで、親鸞聖人のご和讃を書き添えることによって、十字名号の意味を明らかにする、このように、教如上人は思い立たれたのです。書き添えられたご和讃は二~三種類あります。その一つが
 「尽十方の無碍光は、無明のやみを照らしつつ、一念歓喜する人を、かならず滅土にいたらしむ」
というご和讃です。十方を照らす阿弥陀如来の光明は、さえぎられることなく、私たちの迷いの姿を明らかに照らし出し、如来の慈悲を喜ぶ人を必ずお浄土に導く、という意味です。もう一つの書き添えられたご和讃は
 「尽十方の無碍光の、大悲大願の海水に、煩悩の衆流帰しぬれば、知恵の潮に一味なり」
というご和讃で、如来の慈悲のさわりなき光は、海の水があらゆるものを融かしこむように、私たち煩悩の身を、そのまま如来の知恵と一体にする、というご意味ですから、これまた慈悲の家本願寺という理念を明らかにするものです。
和讃書き添え十字名号は、五点ほど見つかっています。石川県小松市の宗円寺、大阪の八尾別院、愛知県田原市の西円寺、同じく常滑市の光明寺、大分県佐伯市の善教寺に所蔵されています。実は小さいもので、縦が50センチ、横が20センチほどですから、私たちの家の仏壇に掛けられる大きさです。道場と呼ばれる、お念仏の集会所、そこに掛けられたのかもしれません。教如上人の和讃書き添え十字名号は、お寺の本堂に掛けられたのではなく、門徒や在家と呼ばれ、親鸞聖人の教えに生きる在俗の人びとの家に掛けられたと考えられます。未発見の十字名号が、まだまだ沢山あるのではないかと思っています。あなたが真宗のご門徒なら、お家の仏壇に掛かっていませんか。書き添えられたご和讃の下に「教如」と署名があり、花押が書かれていますから、直ぐに分かります。
 いま紹介しました、お寺に所蔵されている十字名号も、元来はご門徒のお家や、お念仏の集会所である道場、そこにあったのだろうと思われます。最初に名をあげました小松市宗円寺は江戸時代には道場でした。八尾別院にあるのは、多分寄進されたものでしょう。佐伯市善教寺の十字名号は、この地の大名毛利家の奥方が、教如上人に帰依して書いていただいた、と裏書されています。後に善教寺に寄進されたのでしょう。小型で、在家門徒や道場に下されたということは、教如上人が在家門徒や道場を、寺院に優る存在として、重視されていたことを意味しています。教如上人の理想の教団の姿が、ここに見えています。

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