私の父方の祖母は、私が高校二年生の時に亡くなりました。その十年前の私の七歳のお誕生会の日に、祖母は脳梗塞で倒れました。命には別状はなかったのですが、右半身にマヒがのこりました。
私の記憶の中にある祖母の表情は、私をからかう時の少しおちゃめな顔、怒ってむっとしている顔、笑っている顔などたくさんありますが、中でもやるせない表情が一番印象に強く残っています。マヒが残る右半身はどれほど祖母の思い通りにならなかったことか、その苦しみを当時の私には思いやることができませんでした。
そんな中で祖母は生活し、その生活はお念仏と共にありました。お仏壇の前でお経をあげてから祖母は本堂に向かいます。その時に不自由な右手右足を少し振りながら「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」という声が聞こえてきました。その声を聞きながら私は心の中で(どうして声を出して言うのかな…心の中で言えばいいのに)と、そんな風に思っていました。それは、とても古い感じがしたのです。でも祖母はずっとお念仏を申しておりました。
そんな姿は憶えているのに、何故か祖母の声を憶えていないのです。近すぎて意識せずに毎日聞いていたからなのか、口癖は憶えていても声が思い出せないのです。ただ優しい声でした。思い出せないことが本当に悔しく思われます。
そのお念仏申す声が今の私の「なんまんだぶ」のもととなっていますが、最近になって祖母はどんな気持ちでお念仏を申していたのだろうと思うのです。
まだ若い頃に叔母に無理に養女にさせられ、習い事などの約束も結局は口約束だけでさせてもらえなかったこと、本当は好きな人があったけれどその人とは添うことができなかったこと。結婚後は祖父の自分勝手な性質で苦労しながら二人の子どもを育てたそうです。祖母が亡くなったあと両親から聞いた話では、祖母がいなければお寺はなくなっていたとのことでした。
そのような人生の中で「なんまんだぶ」はどのような意味をもっていたのかを考えた時、それは“何とか救われたい”“助かりたい”という思いだったのではないかと感じるのです。
お経のお勤めの最後は「末代無智の…」で始まる本願寺第八代の蓮如上人が書かれたお手紙でした。他にもたくさんのお手紙がありますが、祖母のお勤めはほとんどこのお手紙でした。ですから、私にはお手紙はこれしかないと思えていたのです。それほどこのお手紙が毎日のお勤めと共にありました。
その中には、「一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」とあります。「阿弥陀さまに向かい、仏さまどうぞたすけてください、という私たちを必ず阿弥陀さまはすくってくださる。その思いが定まったうえには、ねてもさめてもいのちのある限りはぜひ念仏をとなえてください。」という意味のお言葉です。祖母のことを思い出していて、その事がふと浮かびました。
自分の悲しみや苦しみや悩みから逃れ、何とかしてたすかりたい、と思うことはきっと誰もが持っている願いでしょう。祖母のその願いは、毎日読ませていただいている蓮如上人のお手紙の中のお言葉によって日々をすごすことだったのではないか。このお言葉によって祖母は生涯を生きてくださったのだと今、改めて感じます。そのお念仏の声をいただき、私もまた「なんまんだぶ」を申す者とさせていただいたのです。