ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤原 正寿(石川県 浄秀寺)
第1話 御遠忌テーマから問われていること [2006.9.]音声を聞く

おはようございます。今回から6回にわたって「今、いのちがあなたを生きている」という宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマを念頭におきながらお話をさせていただきます。
一回目は、このテーマについて思うことを若干お話させていただきます。突然ですが、あなたは、今生きていますか?と問われたとしたら、皆様はどのようにご返事されますでしょうか。おそらく当然、今生きていますよ、とお答えになるのではないでしょうか。同時に、何でそんな当たり前のことを聞くのか?と疑問を持ったり、逆にそんなことを聞いてきた相手を訝(いぶか)しんだりするのではないでしょうか。しかしこの場合、どのような意味で私たちは、生きていると言っているのでしょうか。息をしているからでしょうか?心臓が動いているからでしょうか?もしかしたら、そんなことすらも考えないほど当たり前のこと、大前提のこととして今生きていると言っているのではないでしょうか。
今回のこの「今、いのちがあなたを生きている」という言葉には、ある意味でそのような、当然だと私たちが思っていることに対して、もう一度その意味について、考えてみたり、問い直してみる必要があるのではないですか?というメッセージが込められているのです。
すこし前のことになりますが、1999年7月11日の朝日新聞日曜版「いわせてもらお」というコーナーに、次のような投稿が掲載されていました。静岡県沼津市のペンネーム「10年たったが2人は元気」という方の投稿です。その方のお父さん、お母さんは70歳をすぎたころ、2人でお葬式用の写真をとりにゆかれました。その帰りがけに、その写真屋さんに、「お急ぎですか」といわれてしまったという内容です。わたしは、この文を読んでこんな情景を想像しました。お父さんとお母さんは、非常に仲が良く、いつも2人連れだって出かけていたのでしょう。その日も2人連れだって、しかもおしゃれをしてでかけていった。帰ってきたとき、なんだかしょんぼりしているので、どうしたのかと聞いてみると、元気なうちに自分たちの葬式に使う写真を撮りに行こうと思い立って出かけた。そして、そこで、写真を撮り終えた後に、写真屋さんから一言、「この写真はお急ぎですか?」と聞かれた。」という。お2人にはおそらくショックだったのではないでしょうか。
私は、これは実に現代を生きる私たちの生活を象徴していることだなと思いました。私たちは、だれしもが、よりよく幸せに生きたいと願って、日々生活をしています。自分の思い通りに、健康で充実した人生を送ることが大切だと思っています。その中には、当然家族に迷惑をかけたくない、歳をとってくれば、葬式の準備も前もってしておくことも含まれるのでしょう。葬儀で使う遺影までも、後で周りの人があわてないですむように、しかも元気なときの写真を準備しておく。しかし、皆さんご存知の通り、最近の写真は現像に出して短い時間で受け取ることができるのです。おそらく写真屋さんは、深い意味を込めてではなく、早く受け取りたいかどうかを確認するために、「この写真はお急ぎですか?」と聞かれたのでしょう。しかし、そう聞かれた方にしてみれば、何かショックを受ける言葉だったのでしょうね。私たちは誰でも、自分がいつかは死をむかえることは知っています。知っているからこそ、逆に今は死んでいない、生きているのだと言えるのでしょう。しかし、それはいつかは死ぬことを知っているだけで、今すぐ死ぬかもしれないということをいつも思っているわけではないのです。ですから、「お急ぎですか」という言葉は、死を突きつけてくると同時に、死を漠然とした遠くにしか捉えていなかった自分の生活に波紋が広がったのです。当然のように今生きていると思っている私たちの人生は、実は、準備のために今現在の自分を見つめることを先送りにしている人生ではありませんか?という親鸞聖人の問いかけが、このテーマには込められているのです。

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