おはようございます。
前回は、まずもって感じられる「わたしのいのち」とはどういうことであるのか、その意味するところについて考えてみました。そして、「生死するいのち」、「縁起するいのち」という言葉を紹介いたしました。
「生死するいのち」、「しょうじ」とは「生き死に」という字を書きますが、「生死するいのち」とは、わたしたちが疑いようもなく今まさに生きているということです。それを「見えるいのち」と言ってみたいと思います。しかし、見えるといっても、いのちあること、生きていることを考えれば考えるほど、なぜ生きているのか分からなくなりませんか。それに応えたのが、「縁起するいのち」ということだと思います。つまり、わたしたちの「見えるいのち」を成り立たせている「見えないいのち」の世界を、お釈迦さまのさとりの内容を表わす「縁起」という言葉で表現しているのでしょう。
さまざまな条件との関わりの中で存在している「わたしのいのち」。それを時間的に言うと、直接の因を両親として、その両親にはまた両親が、そしてさらに…、というように、現在の「わたしのいのち」を扇の要(かなめ)として、過去の「いのち」が限りなく広がっているのです。また、空間的に言うと、わたしはわたし一人で存在しているのではなく、自分以外の他者との関わりによって存在しており、多くの人々、多くのいのちによって「わたしのいのち」が支えられている、ということです。限りない「いのち」の歴史と限りない「いのち」の広がりの中に生かされている「わたしのいのち」。もう少し別の言い方をすると、時間的な縦の「いのち」のつながりと空間的な横の「いのち」のつながりの中にある「わたしのいのち」。それが「縁起するいのち」ということだと思います。
さて、『安心決定鈔』という書物に次のような言葉があります。
しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、「わがいのち」とおもいたらんおり、善知識「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、「わがいのちすなわち無量寿なり」と信ずるなり。 |
この書物は誰が書かれたのかはっきりしていませんが、本願寺第八代の蓮如上人は、この『安心決定鈔』を若いころから学んでおられ、何回読んでも飽きることがなく、金(こがね)を掘り出すような大切なお書物だとおっしゃっています。「わたしのいのち」は本来的に「阿弥陀の御いのち」なんだけれども、幼いときにはよく分からず、少しばかり知恵づくと、自分の力で生きているのだと思ってしまいます。しかし、「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」という先生の教えに出会い、帰依することによって、「わがいのちすなわち無量寿なり」という目覚めが開かれてくるのです。
これまでお話してきましたことからしますと、「生死するいのち」は「見えるいのち」であるがゆえに、それを「わがいのち」だと、誰にも迷惑をかけていないのだから、自分のいのちを好きに生きて何が悪い、と「わたしのいのち」を私有化してしまうのでしょう。しかし、「わたしのいのち」は、それを自覚している自覚していないに関わらず、「見えないいのち」によって支えられ、「縁起するいのち」として生きているのです。このことを浄土の教えによって言うならば、「阿弥陀の御いのち」、「もとの阿弥陀のいのち」をいただいて、「わたしのいのち」があるということになります。そういう「いのち」に目覚めてほしいとわたしたちに呼びかけているのです。
「見えるいのち」に対して「見えないいのち」と言い、また、「わたしのいのち」に対して「阿弥陀のいのち」と言いました。このように表現いたしますと、わたしたちはすぐに「見えるいのち」に対立する形で「見えないいのち」を想定し、「わたしのいのち」とは別の「阿弥陀のいのち」なるものを実体的に捉えてしまいますが、そうでないことはよくよく注意すべきことだと思います。ただ、どこまでも、「わたしのいのち」を成り立たせている「はたらき」、このことのかけがえなさを「阿弥陀のいのち」と表わしているのだと思います。