おはようございます。
「いのち」という言葉は、実にさまざまな意味で用いられています。これまで多くの方々が「いのち」という言葉を用いながら、宗祖親鸞聖人の教え、お念仏の教えを語られてきたと思います。あるご住職は、このようなことをおっしゃっておられました。「いのち」ということを言う時には、そのような「いのち」を教えてくださった具体的な人の姿を思い出すのです。あの先生が語る「いのち」、この先生が語る「いのち」。いろいろな先生が語ってくださった「いのち」があるのです。「いのち」という言葉を整理しようとしても、それは無理だよ。このような趣旨であったかと思います。あらためて、「いのち」という言葉を頭で整理して理解しようとしている私自身の姿勢が問われることであります。
そうしますと、「いのち」とは具体的な人の姿、具体的な人の言葉、具体的な人の声であり、「わたし」に呼びかけ、「わたし」の生きる支えとなることを「いのち」と言うのではないでしょうか。私自身のことをあらためて考えてみますと、学生時代にご指導いただいた先生が思い起こされます。学問的にとても厳しい先生で、今でもお会いする時には少々緊張いたしますが、その先生とのご縁をいただいたからこそ、今の自分があるのだろうと思っています。先生が私に「ちゃんと勉強しろ」と呼びかけ願っておられる、その呼びかけの重さを噛みしめつつ、その呼びかけにわずかでも応えていくことができればと思っています。
さて、具体的な人の姿、言葉を「わたしのいのち」とする、と了解した時にやはり思い浮かぶのは、親鸞聖人と法然上人との出会いではないでしょうか。親鸞聖人は、法然上人から教えられ聞き取られた言葉をご自身の「いのち」として、90年の生涯を生きられた方であります。『歎異抄』の
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 |
という言葉は、そのことをよく表わしていると思います。「私親鸞にとっては、ただお念仏して阿弥陀仏に助けられるしかないのです、という法然上人のお言葉をいただいて信じていく以外に、私の生きる道はありません」と、深々とご自身の「いのち」の事実を頷いていかれたのでしょう。
これまで、「いのち」という言葉をいろいろと考えてきたわけですが、結局のところ、「わたしのいのち」を成り立たせている、「わたしのいのち」をはるかに大きく超えたところの「何か」を思わざるを得ません。それを「見えないいのち」、「阿弥陀のいのち」というような言葉で表現してきているわけですが、しかし、それは漠然としたものでもなければ、抽象的なものでもありません。もちろん、実体的なものでもありません。具体的な人の姿、具体的な人の言葉として、受け止められていくことだと思います。親鸞聖人においては、法然上人の「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という呼びかけを通して、「わたしのいのち」をはるかに大きく超えたところの「何か」を推求していかれたのだと思います。つまり、阿弥陀仏の本願にこそ「いのち」ということの意味が見開かれてくるわけであります。
親鸞聖人が大切にいただかれた浄土の祖師のお一人である曇鸞大師の言葉に、「仏願に乗ずるを我が命と為す」というものがあります。「ぶつがん」とは阿弥陀仏の本願のこと、「じょうずる」とは乗り物などに乗るという意味で、阿弥陀仏の本願に乗りかかることを「わたしのいのち」とする、と言われています。この言葉を眺めていて思い出されたのが、同じく親鸞聖人が大切にいただかれた善導大師の「彼の仏願に順ずるが故に」、法然上人の「仏の本願に依るが故に」、そして、親鸞聖人の「雑行を棄てて本願に帰す」という言葉です。阿弥陀仏の本願に乗ずる(乗りかかる)、阿弥陀仏の本願に順ずる(すなおにしたがう)、阿弥陀仏の本願に依る(依りかかる)、阿弥陀仏の本願に帰す(帰依する)と言う。そういうかたちで、阿弥陀仏の本願を「わたしのいのち」としてこられてきたのが、浄土の祖師方であり、親鸞聖人なのです。そして、その教えを承け伝えてこられた無数の念仏者たちがおられるのです。そういう「いのち」の歴史があります。そういう方々の「いのち」がわたしたちの「いのち」に呼びかけ、そして、その呼びかけに応えたいという「わたしのいのち」があるのです。