おはようございます。
今年の3月に能登半島で大きな地震が発生しました。あの能登半島での地震が起こった2日後、「毎日新聞」の一面記事の写真を見て大いに驚き感動した事があります。その被災地のつぶれ壊れた家の屋根に乗って、その中から何かを取り出している二人のおばあさんの姿です。一人のおばあさんが取り出しておられるものはご本尊、阿弥陀如来像です。私たちの地域では軸にした絵像のご本尊がほとんどですが、そこのお家は木像のご本尊でした。それを大切そうに抱きかかえておられました。もう一人のおばあさんが取り出されていたのは、ご本尊の横にお掛けする軸である「お脇掛」でした。「帰命尽十方無碍光如来」、いわゆる十字名号のお脇掛でした。多分、地震で家が崩壊した際に、何はさておきこのお2人は、まずご本尊とお脇掛を取り出されたのでしょう。
この写真をとった新聞記者の方どのような方か、また、多くの被災地の写真の中からこの写真を選び取った編集者の方がどんな方か知りませんが、私たち日本人が失いつつある大切にしてきた暮らしが、あらためてその新聞のトップに写し出されていました。
私の住んでいる三重県、愛知県、岐阜県の境には、もう海に近い地域になりますが、揖斐川、長良川、木曽川河口近くに木曽三川公園というところがあります。この地域はもともと輪中地帯で古来洪水に悩まされてきました。その地域の先祖先輩の人々が生活を守るため、いかに苦労され、いかに知恵を絞り出されたかを知ってもらうため、かつてあった「水屋」という家が再現されています。家屋は高い石垣を組んだ上に建てられていますし、米なんかは2階に貯蔵できるようにもなっています。
その水屋を見学して驚いた事はお内仏、仏壇です。もちろんお内仏は1階にあるのですが洪水で水がついてきたときには、ひもなどですぐに2階へ上げられるようになっている装置があるのです。まさかの時には何はさておきお内仏を守ろう、仏壇を守ろうとしてきた先祖先輩の暮らしを感じ取る事ができました。
それを見学したとき、そういえば子どもの頃、お内仏に足を向けて寝転んでいたら、「どちらへ足を向けて寝てるのか」と親に叱られたなあとその頃のことを思い出します。
宗教者で哲学にも深い造詣をもつ鈴木大拙氏は、岩波書店からでている『東洋的な見方』という本のなかで、日本の建物に特長的な「床の間」のことを1961年に書いています。床の間には字を書いた軸、絵を書いた軸を掛け、花を立てたりします。しかし、床の間は単なる美の鑑賞の場でなく、「有限以上のもの」を感じさせる場、「敬虔な態度」を要求する場であると書いています。「有限以上のもの」とは神様、仏様のことをいうのでしょう。「敬虔な態度」とは、静かに座り、頭を下げる、そして手を合わせる、ということでしょう。だから床の間は家の中でも一番奥まったところに設けてあると書いています。
その床の間とは私たち仏教徒で言えば「仏間」、お内仏のある場でしょう。私たちは古来そこを神聖な場所、尊い場所として大切にしてきました。そしてそこで手を合わせたり、「お勤め」をしたりしてきました。いわばそこは家庭の中心、家屋でいえば「大黒柱」でありました。大黒柱がなくなると家屋が壊れるように、家庭の中心を失いつつある今日の私たちの家庭は、バラバラに壊れつつあるのではないでしょうか。
今回は「宗教生活の回復」という講題でお話させてもらいましたが、何か特別な事、難しい事ではありません。私たちの先祖先輩が大切にしてきた身近なところから始めてみようではありませんか。