おはようございます。
今回でわたしのお話は6回目、最終回になります。2011年に東本願寺(真宗大谷派)は親鸞聖人の750回御遠忌法要をむかえ、「今、いのちがあなたを生きている」をテーマに掲げました。そのテーマについてのわたしの了解をお聞き願いたいと思います。
東本願寺では『同朋新聞』という機関紙を毎月発行しております。今年の3月号、4月号には元アメリカ海兵隊員のアレン・ネルソンさんについての記事やら対談が掲載されていました。彼は1947年ニューヨークのスラム街に生まれます。3人の姉妹とともに母親一人の手で育てられ、その貧しい生活から抜け出ようと海兵隊に入隊します。しかし、軍隊での訓練はもちろん、戦場で凄惨な体験をし、帰国後精神を病み、ホームレスになります。
そんな時、牧師さんに勧められて小学校で自らの戦争体験を話す事になります。彼は小学4年生の教室で語り始めますが、事実を話す事ができず戦争一般の悲しみのみを話しました。ところが最後になって一人の少女が彼に尋ねます。「あなたは人を殺しましたか?」と。彼は絶句し、うそを言ってごまかしますが、本当のことをいうべきか、心の中で葛藤します。
しばらくたって目をつぶって、小声で「イエス」とはっきり答えます。その苦しそうな彼の姿を見て質問した女の子は目にいっぱい涙をためて彼を抱きしめます。「かわそうなネルソンさん」。その一言を聞いたとたん大粒の涙が彼の目からあふれ出ます。教室にいた子どもたちも皆駆け寄って彼を抱きしめます。その少女の涙が、一言が彼を立ち直らせます。
彼が流した大粒の涙、そして彼を立ち直らせたもの、それは何であったのでしょう。
仏教では「懺悔」という大切な言葉があります。一般には「ザンゲ」と読みますが、仏教では濁らずに「サンゲ」とよみます。仏様の前で、師、先生の前で自分の罪を悔い改めるということです。キリスト教でも牧師さんの前で自分の罪を告白し、悔い改めることがあるようです。ネルソンさんが少女の前で「イエス」と答え、大粒の涙を流しましたが、正しく彼自身の“サンゲ”であったのでしょう。彼自身の作詞作曲した歌に『懺悔(ざんげ)と祈りの歌』がありますが、その「ザンゲ」は「サンゲ」を意味します。
しかし、大切な事がもう一つその「サンゲ」にはあります。事実ネルソンさんにもあったように「サンゲ」には「立ち直り」がおこるということです。仏教では発願(ほつがん)という言葉がありますが「立ち直り」もそうした意味を持ちます。発願の発(ほつ)は「発こる」という字を書き、願とは「願う」という字を書きます。「願が発こる」、「大いなる願いが発こる」といってよいでしょう。
自分が発した願ではありますが、「自分に発こった」願です。頭を下げたその自分の上に、自分を衝き動かす大きな力、自分を超えた力が用くということです。その力のことを「本願力」といい、その本願力が自分に用く事を「本願力廻向」といいます。一般には「廻向」というと自分が仏様やら神様に「たむける」ことを意味しますが、「賜る」という意味です。それをまた、「廻心」、英語で「コンバージョン」といいます。これは転換するという意味をもつ言葉です。どんな宗教であれ、本来的な宗教であれば必ずこの「廻心」、コンバージョンはその宗教の「入り口」として必要とされます。
親鸞聖人のお造りになりました『正信偈』は「帰命無量寿如来」から始まります。「無量寿」とは、今いいました「人間を超えた大きな力」「量り知れない力」ということでしょう。その「無量寿」をわが命とする、それを「命に帰する」と書いて「帰命」といいます。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるということは、その「帰命」の心の表現です。
親鸞聖人の750回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」のその「いのち」とは、帰命としたその「無量寿」が、懺悔を通した自分に用き続け、呼びかけ続けている事実を表現したものでしょう。わたしはそのように受け止めています。