ラジオ放送「東本願寺の時間」

鳥越 正道(熊本県 光寂寺)
第1話 今、いのちがあなたを生きている [2007.11.]音声を聞く

おはようございます。今日から6回にわたって、「今、いのちがあなたを生きている」というテーマを中心にお話していきたいと思います。この「今、いのちがあなたを生きている」というテーマは、4年後の2011年に行われる、親鸞聖人の七百五十回御遠忌のテーマです。50年ごとに行われる御遠忌は、私たちが親鸞聖人の教えに出遭う大事な御縁として催されるものです。
750年前と言うと、お聞きの皆さんは、親鸞聖人という方が、ずいぶん、大昔の方に感じられるかも知れませんね。しかし、親鸞聖人という方を今も生きているかのように、大変、身近に感じておられる人たちが、今日でも多くおられるのです。歴史的な時間というのは不思議なものですね。長く感じることもあれば、つい昨日のことのように短く感じることもあります。このテーマにある「今」ということも、多くのことを私たちに教えているのではないでしょうか。この「今」には、ずっと昔からの過去が含まれているのではないかと思います。それだけではありません。将来、未来もこの「今」に含まれているのでしょう。未来のことを「當来」ともいいます。まさにきたるということです。来るか来ないか分からないような未来ではなく、確実に来る、「當来」なのです。この過去と當来を含んだ「今」と言うことです。その「今」・現在において、「いのちがあなたを生きている」と言われているのです。
このテーマの「いのち」はひらがなで表されています。「いのち」という言葉は、幾種かの漢字で表わされますね。一般的には「いのち」は「生命」や「生命」の「命」一字で表わされることが多いのではないかと思います。この「生命」や「命」という漢字で表される「いのち」は生まれて死んでいくという、限りある「いのち」のことを表わしているのではないでしょうか。その有限なる「いのち」に対して、このテーマでいうところの「いのち」はどうも違うようですね。限りある「いのち」ではなく、限りない「いのち」を意味しています。すなわち、有限ではなく、無限なる「いのち」です。この無限なる「いのち」を親鸞聖人は「無量寿」と教えられています。「無量寿」の「寿」は「寿命」の「寿」です。このように了解しますと、「今、いのちがあなたを生きている」ということは、「今、現在、無限のいのち、無量寿があなたを生きている」ということになるでしょう。
この「無量寿」は「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀」のことを意味しています。このことを踏まえれば、テーマの「今、いのちがあなたを生きている」ということを「今、阿弥陀があなたを生きている」と了解していけるのではないかと、私は思っております。さらに言えば「今、南無阿弥陀仏があなたを生きている」と言えるのではないでしょうか。このテーマを受け取る私の立場から言えば、「今、南無阿弥陀仏が私を生きている」ということになるかと思います。
「今、南無阿弥陀仏が私を生きている」ということは、どういうことを私に教えているのでしょうか。最初のところで、「今」には「過去・當来」を含んだ「今、現在」であると申しました。このことから言えば、ずっと昔、太古の昔から、南無阿弥陀仏は伝統・伝承されてきて、ようやく私のところまで届いたということでしょう。その南無阿弥陀仏の存在に早く気が付いてほしいという願いが、「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマには含まれていると私は了解しています。
第2回は、南無阿弥陀仏の伝統・伝承ということを中心にお話したいと思います。では第1回はこれで終わります。

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