おはようございます。親鸞聖人の七百五十回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」を中心にお話しています。今日が私のお話としては、最終回になります。このテーマは、受け取る自分の立場から言えば「今、南無阿弥陀仏が私を生きている」と了解できるのではないかということで、お話を進めてまいりました。
前回はその南無阿弥陀仏が今日まで伝統・伝承されてきたことに大きな役割を果たされたのが、蓮如上人であったということを述べました。蓮如上人によって、閑散としていた本願寺は、多くの真宗門徒が参詣するお念仏の道場として、よみがえることになりました。母親が、幼き蓮如上人に託した、真宗再興の願いは、85年の生涯を懸けての活動により、見事に実現することができました。蓮如上人が御門徒に語られたことは、信心を賜り、お念仏申す身になる事、そして、その南無阿弥陀仏のいわれ、意味をよくよく尋ねていくことの大切さでした。このようにして、南無阿弥陀仏は伝統・伝承されることになりますが、その後の歴史も波乱万丈であったと言えましょう。例えば、真宗門徒における一向一揆があります。時の為政者と命懸けで戦った時期があります。一向一揆の評価は賛否がわかれるかと思いますが、真宗門徒の多くのいのちを懸けての活動が、お念仏を伝えてきたと言えるのではないでしょうか。また、江戸時代の九州の薩摩藩・相良藩、これは現在の鹿児島県・宮崎県、熊本県の一部に当たりますが、そこでは、真宗のお念仏は禁止されていました。その中で、「かくれ念仏」として、真宗門徒は命懸けでお念仏を伝えてまいりました。キリスト教が禁止された中で、生き抜かれた「かくれキリシタン」のことは多くの方が知っていると思いますが、同様のことが、真宗のお念仏においても、九州の一部で行われていたのです。
その後、明治時代においては、一時期、廃仏毀釈運動によって、寺院、仏像などの破却、焼き打ちがおきたり、また、国家神道として、国民は氏子になるように強制されるなど、次から次へと困難な状況をかいくぐってきたと言えます。そのような歴史を経て、今日まで、南無阿弥陀仏は伝承されてきたことを思いますと、感慨深いものがあります。親鸞聖人以降、有名・無名の念仏者によって伝えられた、お念仏がようやくにして、私まで届いたことを思わずにはおれません。
自分自身を振り返ってみますと、私が19歳の時、それまで元気であった父が、心筋梗塞で急死すると言う出来事がありました。その縁を通して、自分の生死の問題、生きる意味、何をしたら本当に満足できるのか、等々の問題が、自分の問題となりました。しばらくしてから、お念仏の教えを聞く聞法会、学習会などに出かけるようになり、その中で、お念仏の仲間、御同行の方々に出会うことができました。御同行の方々は、まさに、現にお念仏の中に生きておられたのです。南無阿弥陀仏が生きてはたらいているのです。その頃、「自己発見」という言葉に妙に引かれたことを思い出します。お念仏申す身になるとは、南無阿弥陀仏の自己に出遭う、さらに言えば、南無阿弥陀仏の自己に成る、ということを教えられました。その自己を、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」・「煩悩成就の凡夫」と教えられています。私たちは、この自己を求めて、さまよっているのではないでしょうか。その自己に背いて生きていることを、露知らず、生きているのではないでしょうか。南無阿弥陀仏の自己とは、全く救われない者、「罪悪生死の凡夫」という機の深信によって、教えられる自己です。この機の深信とは、深く信じると書きますが、真宗の信心を表わす大事な言葉です。その南無阿弥陀仏の自己によって、様々な人々との関係が開かれてくると言えるのではないでしょうか。
6回にわたりまして、親鸞聖人の七百五十回御遠忌テーマである「今、いのちがあなたを生きている」を、受け取る立場から言えば「今、南無阿弥陀仏が私を生きている」と了解できるのではないかということで、お話してまいりました。早朝の時間、お聞きいただきありがとうございました。それでは、2011年の親鸞聖人の御遠忌に、お会いできるのを楽しみにしております。これにて終わらせていただきます。