ラジオ放送「東本願寺の時間」

伊奈 祐諦(愛知県 安楽寺)
第3話 生きがい、幸せを求めて [2007.12.]音声を聞く

おはようございます。すがすがしい朝のおめざめはいかがでしょうか。今回は幸せとは何か、生きがいとは何か、について考えてみたいと思います。
今から約2500年ほど前、インドに一人の太子がお生まれになりました。その人の名前はゴータマ・シッダールタといい、後に心理の世界にめざめて仏になり、ゴータマ・ブッダとなられました。「ブッダ」とは「真理に目覚めた人」という意味であります。私たちは、ブッダとなられたお釈迦さまの教えに出会って「人間とは何か」「本当の幸せとは何か」という世界に目覚めることができるのではないでしょうか。
お釈迦様は、今からおよそ2500年ほど前の4月8日、北インドの釈迦族の王様、スドーダナと妃マーヤーの子として、この世に生を受けられました。妃のマーヤー夫人がお産をするためにお里に帰る途中、立ち寄ったカピラ城郊外の花咲くルンビニー園で、お釈迦様はお生まれなさいました。仏伝では、お釈迦様は生まれると、七歩歩いて、「天にも地にも、ただ独り、わたしとして、尊いのである」と宣言されたと記されています。
お釈迦様の生涯やその教えにふれ、それを語り継いできた多くの人々は、この言葉をとおして、自分自身が生まれてきたこと、そして生きることの大切な意義を確かめることができたといえましょう。もちろん、人が誕生してすぐに歩んだり、言葉を発するということは私たちの常識では考えられません。その意味では作り話としてしか思えません。
しかし、こうしたお釈迦様の誕生の逸話は、作り話の嘘かというと、そうではありません。そこに語られている真実の世界に触れる時、「私たちは、他の誰とも、決して代わる事のできない、ただ一人の人間として、ここに誕生し、今、ここに人として生きている」と知らされ、わが身をうなずくことができます。
東本願寺のお堀をはさんだ塀に大きな字で「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」と書かれた看板が道行く人々の目に止まります。親鸞聖人の歩まれたお念仏の教えも、このことひとつを明らかにしておられるのであります。
お釈迦様は生まれてすぐに、七歩あるいて、天と地を指さして「天上天下唯我独尊」と叫ばれた、とお経に伝えられていますが、七歩とは何を表した言葉でしょうか。
七歩とは、六道輪廻の迷いをはなれて、仏、一般にいうところの仏様、すなわち、悟りの世界に至るという意味であります。六道は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の世界であります。私たちはその六道の迷いを車の輪が転がるように、とめどもなく迷い続けるのです。
その六道の迷いから目覚め、仏、すなわち、仏様となられたお方がお釈迦様であります。
六道とは人間そのものであり、苦しみ、悲しみ、迷いの存在であることを教えています。
「人間とは何か」という問いにこたえているのが仏教であり、現代における人間理性の行き詰まりを破る道が仏教であります。そして、その道を南無阿弥陀仏と生き抜いた人が、親鸞聖人その人であります。
親鸞聖人は「浄土和讃」に、
解脱の光輪きわもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたもう
平等覚に帰命せよ
と、お念仏を讃えられています。意訳すると、六道輪廻の迷いを破る仏の智慧の光は、果てしなく輝き、光にふれるものは、煩悩の苦しみから解放されるとのべられ、阿弥陀仏の平等の救いに出遇うことであると示されています。
浄土真宗のお念仏の教えは、自らの努力と修業によって煩悩を断ち切るのではなく、煩悩をかかえた凡夫が、凡夫のまま、阿弥陀仏の本願に救われる道であります。
自力の救いは一人一人の努力による悟りへの道であります。たいへん、厳しい苦行の世界であります。人間の努力の世界でもあります。親鸞聖人は9歳のとき、青蓮院にて出家・得度をして比叡山に登られました。そこで、自力聖道門を20年間、悟りを求めて励まれました。しかし、悟りを求めれば求めるほど、自分の力では、悟り得ない我が身に苦しまれました。
親鸞聖人は29歳の時、比叡山での自力の道を断念して吉水の法然上人の念仏教団に出遇われました。京都・六角堂において百日間悩み続けられたことからも、ご聖人の苦しみ悩みの深さがうかがわれます。法然上人との出遇いは、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」の一言でありました。言い換えれば、自力による悟りの道から、阿弥陀仏の本願に生きるお念仏の道への転換であります。
御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」とは本願念仏を生きる私のいのちの叫びではないでしょうか。

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