ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤井 理統(長崎県 西光寺)
第2話 主の文化と従の文化 [2008.3.]音声を聞く

おはようございます。
私のお寺は、ご門徒のご協力をいただき、1997(平成9)年に本堂と会館を新築させていただきました。思い立ったのが1975(昭和50)年の秋でしたので、足かけ22年の歳月がかかったことになります。その間、百近くの新築した寺院を見学に行き、本堂の計画を進めてまいりました。
完成した本堂の前で、喜びがいっぱいになるかと思っていた心と裏腹に、暗澹とした気持でした。それは、あれほど長期にわたり用意周到に設計したにもかかわらず、意にそぐわない所が多々あるではありませんか。特に、ご門徒の大切な寄付をいただいて本堂を新しくするのですから、なおさら気が滅入り、喜べるはずの竣工式にも後悔の念でいっぱいでした。
何故そうなったのでしょうか。それは一言で言えば、完成した本堂が、自分の思い描いていた理想の本堂と、十数箇所も違っていたからでした。
たとえば、お縁のはしにある高欄、つまり手すりは三段からなり、その二段目と三段目の上部が平面になっているため、雨が降るたびにそこに水がたまり、そのたびごとに雑巾で拭かなければならないからです。少し傾斜を付けたら水切れがよくなったのにと…悔やむことしきりだったのです。
どうしてこんなに努力していながら、暗い気持になったのかというと、自分をあくまで主とし、周りの物全てを従とさせようとするエゴイズムが、自分自身を苦しめていたのです。しかも、努力すればするほど、その気持もだんだんと強くなっていったのでした。その時、以前ある先生からお聞きした言葉を思い出したのです。それは、
「問題は常にあり。しかれども、問題は内にあり。」
という言葉でした。何度も心の中で繰り返しハッとしました。つまり自分を本堂に合わせれば、自分が従となればいいんだと気付いたのです。その時から、本堂が完成したことを心から喜べるようになりましたし、明るくなれたのでした。
その気持は、次に続いた仕事にも大きく影響を及ぼしました。というのは、本堂の隣に門徒会館の設計施工と工事が続いていたからです。会館の部屋割等、おおまかな基本設計は私がしたのですが、建築の細部にわたってはすべて業者におまかせしたのです。そして、晴れて会館が完成しても、今度は暗澹たる気持にはなりませんでした。本堂を建設したお陰で、自分の思いを、自分の生活を、建物に合せればいいと学んだからです。自分に合わせようとする主の文化に執着すると、きりがないと考えたからです。
ことに現代社会は、人間の思いを優先し、その思いを充足させようとする主の文化に偏りがちなように見受けられます。そこには何か無理が感ぜられるとともに、もしその思いが充足されないなら、その人間は暗くなるに違いありません。
我々一人ひとりの人生も同じことであります。
主の文化、つまり、自分を中心として、問題があればその原因を外にしか見出せない人がいます。一見そういう生き方は楽そうに見えますが、「あの人が悪いから…」と不平や不満がたえずそう思う人の心にうずまいています。しかもそんな人は顔が暗くイライラしているようです。しかしながら、従の文化、つまり、問題の原因は内にありと、人生の視点を方向転換できる人は、自分の周りに起こることは、自分の心の投影と見ることができるので、自然に心に余裕が生まれ、人生を生きぬく力が恵まれるのです。
その主の文化から従の文化に方向転換させてくれる用きこそお念仏の用きであるとともに、我々を明るい世界に導いてくれるのであります。

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