おはようございます。
昨年の10月下旬、ある建設会社の棟梁と一緒に奈良の法隆寺を訪れるご縁がありました。事前に連絡をしていたので、まず鵤工舎(いかるがこうしゃ)の小川三夫(みつお)さんの工場に伺いました。
ご存知のように、小川三夫さんは、法隆寺代々の宮大工棟梁の家に生まれた、故西岡常一(つねかず)さんのお弟子であります。
以前一度お会いしていたので挨拶の後すぐ法隆寺へ車で向かいました。その間の車中で、1年間で鵤工舎に弟子入り希望者は200人を超えるそうですが、その内3人しか弟子を採らないそうです。
私が、「弟子にするか、しないかの判断は何でするのですか」と尋ねると、「器用で何でもできる人ではなく、この仕事しかないという人を採ります。そして、苦しくなったときでも、弱音をはかない子が育つし無器用な子の方がいいですね」とも言われました。
弟子入りしたら、十年間、寝食を共にする共同生活をして、仕事では、先輩から後輩に何も具体的なことは教えないそうです。
現代社会では、教える方も教えられる方もマニュアルがあって、それに頼りがちです。しかし、小川さんは、「ひとつひとつ丁寧に教えることは、親切そうに見えるけど、仕事が身に付かないんですよね。むしろ、先輩の仕事を見て、自分で試行錯誤しながら覚えていくんですよ」と言われ、「捨て育ち」という教育が、共同生活の中で培われていくことを教えてくれました。
ほどなくして、法隆寺の境内に入ると、古色蒼然とした堂塔伽藍が、「ようこそ」と我々を迎えてくれるような気さえしました。そして歩きながら今は亡き、西岡常一さんの思い出をおもむろに語っていただいたり、法隆寺を建てた飛鳥時代の職人たちの技術と心の素晴らしさを淡々と語ってくれました。
その一つのエピソードに、金堂の改修のとき、軒瓦と屋根の泥を取ったら、たわんでいた垂木が元にもどったそうです。しかも、その垂木にカンナをかけると、1300年前の桧の香りがプーンとしたそうです。木は切ってからも生き続け堂塔を支えてくれることを教えてくれました。
また、木について、すべて不揃いなので、山の北か南か、太陽はどっちから当たったか、風は強かったのか、育った環境を考慮に入れて使いこなすことが大切だということ、そして、それは人間の教育にも当てはまるのであって、不揃いのまま個性を伸ばしてやることが大切だとも説いていました。
夕食をいただいた後、そぼ降る雨の中を車で、ライトアップした薬師寺を見学に連れて行ってくれました。東塔より新しい西塔が1メートルほど高くしているのは、数百年後、同じ高さになることを計算してとのこと、悠久な時の流れの中にあることをしみじみ感じながら、小川さんと別れたことでした。
この日一日は、現代人が置きざりにしたり、忘れてしまったりした、大切な宝物を、教えられたような気持でした。
現代社会の状況は、なぜこのような日本になったのか、問題の解決の糸口が見えない社会的不安が、日本全体をスッポリ覆っているようにさえ見えます。
今回は短い旅行でしたけれども、日本人が日本人の伝統とこころを忘れてしまっているのだという思いが、しきりにしました。それが現代の問題の解決のひとつの突破口になるような気がいたしました。