ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤井 理統(長崎県 西光寺)
第6話 父の死について [2008.4.]音声を聞く

おはようございます。
今回は、私の父について話させていただきます。私の父は、一昨年の6月16日に、95歳で亡くなりました。父は旧制中学の頃、鼻の手術で医療ミスに遭い、その後、被爆者として病気とたたかう生涯を送った人でした。
父の葬儀の後、私は遺族の挨拶として、
「父は宿業の身のいたましさ、宿業の身の厳しさ、宿業の身の悲しさを、その95年の生涯を通して我々に教えてくれました」と述べさせていただきました。
父の葬儀の後、『回想の父』と題して、自分の思いを綴らさせていただきました。一周忌までに終わらせようと思い、この五十数年の出来ごとを毎日すこしずつしたためたのです。やはり、楽しい思い出より暗く苦しい思い出の方が多かったのです。けれども書き終わって副題を付けるとき、「蒼穹」と付けました。「蒼穹」とはどこまでも蒼い空という意味であります。
私が生まれてすぐ父は療養のため、借金をしてまで東京に行きました。まだ幼い子どもであった私は、父が飛行機で東京から帰ってくると家族から言われていました。ですので父も、父をあれほど苦しめた原子爆弾も、抜けるような青い空からやってくるように感じられ、副題を「蒼穹」と付けたのです。
肉体の病もたしかに苦しいのですが、心の病もまた苦しくつらいものがあります。
父は晩年精神の病に苦しみました。家族の者が自分をないがしろにして、食べ物に毒を盛り自分を殺そうとしていると想像する被害妄想にとりつかれ、何度も110番しました。そのたびごとに我々家族は、警察から取り調べを受けました。父の病名は統合失調症でしたので本人はもとより、家族も苦しんだのでした。
『回想の父』を書き終わったとき、今まで思っても見なかった感情がこみ上げて来ました。それは苦しみや悲しみをあたえていただくご恩があると…。順縁、つまり都合のいいご縁ばかりではなく、逆縁、自分にとっては都合が悪く思えるようなご縁、そのご恩があることを、父が亡くなって初めて知らさせていただきました。
現代社会は、うつ病やパニック障害など精神の疾患を訴える方がたくさんおられます。そんな方に、あるいは家族に寄り添って話を聞く身にさせていただいたのも父のお陰であるからです。父のお陰で、精神の病を持つ本人と家族がいかに苦しみの中にいるか、少しはわからせていただきました。
ご門徒のうつ病の患者さんと接するとき、必ず二つの約束を交わします。
時間がかかっても必ずよくなるということ。
自分で自分を責めたり、無理をしないこと。
そして、毎日お仏壇の前で大きな声で『歎異抄』を一章ずつ読んでもらうのです。そういう生活を毎日続けられる人は、病気を克服していきました。しかし、どうしても出来ない人に無理に押し付けたら逆効果になることもしばしばあります。
父が亡くなって、人間最後のお恵みは、命を終わらせていただくことだなと思うとともに、人生の悲しみも、苦しみも、無駄なことは一つもないんだなと思えるようになりました。
そう思えるようになったとき、昔、私のお寺のご門徒さんが、
「お寺の石段は、泪のかわかんうち登らんば、そして法にうたれんば。自分で自分を責めれば暗くなるばってん、仏法で我が身を責めれば、その宿業の底に明るい世界があるとばい」
全国の皆さんにわかりやすく言い直しますと、
「お寺の石段は泪のかわかないうちにのぼりなさい、そして仏法を聞きなさい。自分で自分を責めるとだんだん暗くなるけど、仏法の教えでわが身を責めると、その宿業の現実の底に明るい世界があるんだけどねえ。」
といっておられた姿を思い出したのでした。

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