ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤井 理統(長崎県 西光寺)
第5話 恩師・坂東性純先生の思い出 [2008.4.]音声を聞く

おはようございます。
わたしにとりましての恩師、坂東性純(しょうじゅん)先生がご往生され、早4年になります。
身近な人が亡くなると、生きているとき以上にその人が、思い出されてならないことがあります。ことに恩師との別れは、お会いすることが2度とできなくなる淋しさが感ぜられるものです。だからこそ、生前いただいた教えやお姿が、あらためて身にせまるものがありましょう。
大学3回生の折、日本仏教専攻だった坂東性純先生のゼミに入らせていただきました。その秋に、ゼミの1泊2日の研修旅行があり、高野山に行ったのでした。この2日間は宿坊に泊まり弘法大師の信仰と思想を学んだことでした。
最後の日、学生等はバスで一路ケーブルまで向かうため、バスを待っていました。先生は所用があるためもう一日残られることになり、バス停まで学生を見送りに来ていただいたのです。
ゼミの学生を乗せた乗り合いバスは、長い坂道をゆっくり走るのですが、先生はバスが消えるまで学生にずっと手を振っておられたのです。その時間は随分長く感ぜられました。そのお姿が脳裏に今でも鮮明に焼きついています。
学生たちは、そのことも知らずバスの中で、はしゃぎ回っていました。私はたまたま後部座席に坐ったので、そのお姿を知ったのです。
この愚昧な学生たちをよくぞここまで…と思ったのですが、先生は我々学生たちを御同朋御同行、つまりどなたも仏のいのちをいただいて生きるたいせつな人とおがんでおられたのではないかと、フッと思うことがこの頃あります。
また、二十年ほど前、東京の東上野にある先生が住職をしておられるお寺の報恩寺を訪ねた折も、多忙な時間を割いていただき、私の悩みを聞いていただきました。
先生は、私が苦しみや悩みを話すと、「それは、それは」としか言いませんでした。何も答らしい答えを言っていただけないもどかしさに、最初は戸惑いを覚えましたが、だんだん先生が鏡のようになり、久しぶりに、それも九州から上京までして、大切な恩師に愚痴をこぼしている自分の恥かしい姿が映るようになって来ました。そうすると不思議に愚痴も止みますし、苦しみや悩みは解決しなくても、生きる力をいただいたものです。
先生の葬儀には、各界各宗派の方々が会葬されました。あらためて先生の交友関係の広さに、驚かされたものです。
葬儀の折に4人の方が弔辞を読まれました。その中でも一番印象に残ったあるキリスト教信者は、
「坂東さんは先にお亡くなりになり、お浄土の世界へ往かれておられることと思います。私はキリスト教徒ですから、天国に生まれることになる訳ですが、私が天国に生まれたら坂東さんもそこにいるような気がします。そして一緒の所だったんだよねと、開く扉が違っただけだったんだよねと、坂東さんと喜び合っていることでしょう」と話していただきました。
私もご法事の帰りなどご門徒さんに車で見送っていただくことがたびたびあります。その時は、晴れていても雨が降っていても、車が境内から見えなくなるまで見送らさせていただきます。その時、これも坂東先生から教えていただいたことだなと、先生が私に今もはたらいていただいているような、そんな感慨を覚えるのであります。

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