ラジオ放送「東本願寺の時間」

高間 重光(大阪府 了信寺)
第2話 私を超えた願い [2008.6.]音声を聞く

おはようございます。
「今、いのちがあなたを生きている」という宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマに込められている願いを確かめつつ、お話をさせていただきます。
わたしどもの宗派、真宗大谷派の本山である東本願寺には同朋会館という研修施設があります。全国の信者である門徒の皆さんや僧侶が、共にお参りし、語り合い、仏法に耳を傾け、真宗門徒であることの中身を確かめ合う大切な場所です。数年前のことですが、その同朋会館で長崎の60歳のご門徒にであいました。自己紹介の時にこんな話をしてくださいました。「3年前に夫を亡くしました。それから一年に一度はご本山にお参りしようと心に決めて、今年で3回目です。夫は独身の時から熱心に仏教のお話を聞いていた人で、結婚してから私によく「お前も仏教のお話を聞けよ」と言っていました。子どもを亡くしたということもあって私もそれなりに聞いてきたつもりだったのですが、夫が亡くなってから初めてその「仏教のお話を聞けよ」という夫の声が聞こえてきたんです。」仏教のお話を聞くという意味の仏法聴聞の「聴聞」と言う言葉ですが、聴覚の聴と新聞の聞という字でチョウモンといいます。どちらも「きく」という意味の文字ですが、「聴」には自分からきこうと努力すること。それに対して「聞」には自分の力をこえて向こうからきこえてくるというニュアンスがあるようです。何度も何度も聞いていた言葉が、その方が亡くなってから初めてはっきりと聞こえてきたと言われるのです。不思議なことのように思われますが、きっとその通りなのでしょう。
さらにその方は「今私にはひとつ悩みがあります。それは、ひとり娘が縁あってクリスチャンの家の方と結婚して、孫がよく家にも来るんですが、私はその孫にお念仏を伝えたいんですが、何しろクリスチャンの家ですから、どうしたらよいのかと悩んでいます。」とおっしゃいました。私は「はっきりとこうしたら良いというような答えは浮かびませんが、あなたがそのような願いを持っておられることは、何らかの形で伝わっていくのではないでしょうか。」と申し上げたことでした。
本願念仏の教えを伝えた『観無量寿経』というお経は、おシャカさまが生きておられた時代のインドのマガダという国の王家に起こった悲劇を舞台にして説かれています。わが子である王子に夫である国王が牢獄に閉じ込められ、その夫を助けようとした王妃も、その王子によって牢獄に閉じ込められてしまいます。その苦悩の中で王妃であるイダイケという女性が本願念仏によって救われていくということが『観無量寿経』のテーマです。
どのお経にもそのお経のテーマが説かれている部分が最初にありますが、どこまでをその部分とするかは、解釈する方によって異なります。法然上人が師と仰がれた中国の唐の時代の善導大師はそのイダイケが「私は今おシャカさまのお力によってお淨土を見ることができました。けれどもおシャカさま亡き後の人々は、苦悩の中でどのようにして阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるのでしょうか。」とお尋ねになった、その言葉までをテーマの説かれている部分として頂かれました。おシャカさま亡き後の人々がどうすれば仏教によって本当に救われていくのか、ということは大乗仏教の大きなテーマであったわけですが、その受けとめは善導大師が本願念仏の教えによってこそ、末法に生まれあわせた人々が救われるのだ、ということを自らを含めて宣言なさったとも言える受けとめです。そしてまたその受けとめは、お念仏によって救われると言うことは個人の救いに止まらず、イダイケのなかにそのような尊い願いが生まれてきたのと同じように、私たちに思いがけず自分を超えた尊い願いが生まれてくることを示してくださっているようにも思われます。

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