ラジオ放送「東本願寺の時間」

高間 重光(大阪府 了信寺)
第3話 亡き人は諸仏 [2008.6.]音声を聞く

おはようございます。
「今、いのちがあなたを生きている」という宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマに込められている願いを確かめつつ、お話をさせていただきます。
大阪市内にもう20年以上も一年に何度も法話にうかがうお寺があります。そして当初からほとんど休むことなくお参りされている一人の年配の女性がおられます。住職の奥さんからは、「あの方はずいぶん遠くから来てくださっているんです。」というお話を聞いていました。ふつうは法話、つまり仏教のお話の会ですね。その法話にうかがうお寺で、お参りしておられる信者の方と直接個人的にお話することはほとんどありません。ところがその日は私の都合で、そのお寺の催しの後いつもと違うコースで帰ったのです。お寺の最寄りの私鉄の駅で、その方と偶然お会いしました。ご一緒に電車に乗ってお別れするまで20分ぐらいの時間だったでしょうか。初めてその方と個人的にお話をすることができました。
その方は、「今日は私、誕生日なんです。」とおっしゃいました。お歳を尋ねると92歳ということでした。そこそこのお歳だとは思っていましたが、92歳ということで少しびっくりしました。それからポツリポツリとご自分のことを話されました。「実は私がこうしてお寺にお参りするようになったきっかけは、4歳の孫を亡くしたことなんです。」そうおっしゃいました。そして続けて言われるには「その子は重い病気を持っていまして、近くの病院に通っていました。行きは歩くんやで帰りはタクシーに乗せてあげるからと言うと喜んで歩きました。ところがその孫が4歳になったある日、一晩のうちに突然亡くなってしまったんです。その時私は、昨日まで手をひいて連れて歩いていたあの孫が今誰に手をひいてもらっているんだろう、一人ぼっちで迷い子になったりしてはいないだろうか、そう思うと居ても立ってもいられない気持ちになりました。そしてそれからいろんなお寺にお参りしました。それが私のお寺参りの始まりです。数年前にその孫の三十三回忌の法事も勤めました。」おおよそ、そのようなお話をされました。
私たちは、亡き人はお淨土に生まれられて諸々の仏の一人になられる、と教えられています。今もうしました諸々の仏である諸仏とは、単にお亡くなりになった方ということではもちろんありません。お淨土から、この世の私たちを見守り導いて下さっているからこそ仏なのです。
私の勝手な想像ですが、92歳になられたその方にとって、35年余り前に亡くなられたそのお孫さんは、今どのような存在なのでしょうか。亡くなられた当初は、おっしゃっているように諸仏どころではなかったと思います。迷っていないか心配でいろんなお寺にお参りされたわけです。けれども幸いなことに、その方は淨土真宗の門徒でした。ふだんからお世話になっているそのお寺にも欠かさずお参りされ、そして仏教の教えを聞いてこられました。「長い間お参りされて仏教のお話を聞いてこられましたが、どうですか。」と尋ねると、「娘夫婦と同居して暮らしています。やはりいろんなことがありますが、お陰さまで大ごとにならずに済んでいます。」とおっしゃいました。
もしもこの方が仏教のお話を聞く機会もなく、自分の一方的な思いだけのお参りだけだったのなら、きっと違った今になっていたことでしょう。今きっとその方は、92歳まで長生きすることができたのも、お寺にお参りして仏教の教えの大切さに気付くことができたのも、あの4歳で亡くなった孫の導きと見守りのお陰だったと感じておられるのではないでしょうか。そうであるならば、35年余り前に亡くなられたそのお孫さんは、今その方にとって間違いなく諸仏であると言える存在なのではないでしょうか。そう感じさせて頂いたことです。

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