ラジオ放送「東本願寺の時間」

楠 信生(北海道 幸福寺)
生きるということ [2008.8.]音声を聞く

おはようございます。
わたし達は、生きるということを当たり前にして、死ということを忌み嫌います。
フランスの哲学者であり数学者・物理学者であったパスカルの覚え書き『パンセ』に次のような一節があります。

気晴らし……人びとは死や悲惨や無知をいやすことができなかったので、幸福になるために、それを考えないことを思いついた。(168)

というものです。洋の東西、古今を問わず、死は考えたくないことであります。
死はいつか必ず自分の身にも訪れるだろうけれど、そのときまで何事もなく生きていたい。それから先のことを考えようとしない生き方を、パスカルは「気晴 らし」と表現したのでしょう。 ある人の問いです。その方のお父さんは勤勉実直な人でしたが、60代から20年余りの闘病生活の末、70代で寝たきりとなって亡くなられました。お父さん が亡くなられた後、その息子さんは「親父の人生って、一体何だったのでしょう」と問われました。
わたし達は、健康な日暮しをすることは有意義、病気の日々は無意味、最後の最後まで自分のことは自分でできる生活はプラスで、そうでない日々はマイナス と決め付けているのではないでしょうか。事実は、そのお父さんはお父さんで、尊い人生を生き、果たしていかれたのです。
「気晴らし」以上のことをしていない結果として、亡き人の人生を計って点数をつけて悩み、自分の人生も同じものさしを当てて不安に思うという、生きている わたし達自身の問題なのではないでしょうか。
ある時、「誰でも、人生の最初と最後は、おんぶをしてもらうのだ」という言葉を聴きました。なるほどと思いました。生まれたときから自分で自分のことを できる人はいませんし、人の世話にならないといっている人も、いのち終われば必ず縁ある人びとの世話になるわけであります。
そして、大切なことは、自分で自分のことができてさらに他人(ひと)の世話までできているときも、人間は「つながり」を生きているということでありま す。それは単に生きている人同士が「つながり」を生きているだけではなく、亡くなられた人々とも「つながり」を生きているのでありましょう。
あるおばあちゃんのことです。そのおばあちゃんは、子どもを亡くし、夫を交通事故で亡くし、財産もすべてなくした方です。ある時、体調をくずされ入院さ れました。わたしが見舞いに行くと、大変喜んでくださって、こんなことを話してくださいました。
「わたしは幸せ者です。どうしてかというと、もう昔の話だけど、嫁いでしばらくした時、姑さんが、『嫁に来てそう日も経たないのに、命日を忘れないでい てくれる。アンタみたい人が嫁に来てくれてよかった。安心して死ねるわ』って言ってくれたのですよ」と。
亡き人の冥福を祈るということではなく、顔も知らない人をも偲(しの)ぶ、その様な人は、当然今ともに生きている人を大切にする人でもあります。そし て、そのおばあちゃんにとって今は亡き姑のその一言が、数十年を経て、今またそのおばあちゃんを支える力ともなっているのでしょう。
ある方が、本当の救いとは「いつ死んでも悔いがない。いつまで生きていても退屈しない」者になることだと語られました。また、ある先生は「生かされるま まに生きていく責任がある」と教えてくださいました。生きるとは、つながりを生きているということであり、願いに生きるということが本当の意味で「生きて いる」実感であると思うのです。

*引用文献ブレーズ・パスカル、(渡辺秀訳)『パンセ―冥想録への誘い』現代教養文庫、1966年

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