ラジオ放送「東本願寺の時間」

楠 信生(北海道 幸福寺)
今、いのちがあなたを生きている [2008.8.]音声を聞く

おはようございます。
あと3年で親鸞聖人が亡くなられて750年の年を迎えることになります。
親鸞聖人の教えにご縁をいただくものとして、現代の問題とわたし達の課題を明らかにするという願いで、東本願寺では「今、いのちがあなたを生きている」というテーマを出しました。
現代は、常識的にはいのちの尊さということを知りつつも、現実はこころの中で大きく口を開けている虚無感、共に生きることの大切さを思いつつ孤独を感じている人が多いのではないでしょうか。この中で何とかしたいと思っても、そこから一歩を踏み出すことができない。複雑さを増す社会、それらに対する自己防衛とでも言うべきものとして合理的に生活することを無意識的に選んで、いよいよ虚無・孤独を感ずるといった傾向が顕著になっているのではないでしょうか。
このような問題を抱えているわたし達に、親鸞聖人は750年のときを超えて語ってくださいます。それは、深く悩み求められたのが親鸞聖人だったからです。
仏さまが教えてくださること、それは、智慧によって見ればつらい過去・恥ずべき過去も宝の蔵である。未来は夢見る対象ではなく、むしろ願いが未来を開くのである。智慧と願いによって今を生きることが大切であるということです。
そして人間の存在そのものは、虚無でも孤独でもない、虚無感と孤独にあなたを押しやっているのは、あなた自身にとらわれの心があるからであると教えてくださいました。
親鸞聖人も最初は、エゴの心にとらわれて自らさとりの道を障げている。仏さまが開いてくださった、すべての人が救われていく道を自らの疑いが覆っている。それを取り除こうとして除くことができないと悩まれました。
しかし、親鸞聖人はエゴの心も疑う心も邪魔者にしない念仏の道に出あわれたのです。エゴの心や疑う心を自分の目で問題にすることから、100パーセント仏さまの眼(まなこ)で問題にすることへの方向転換です。自分の目で問題にすれば邪魔になるものも、仏さまの眼(まなこ)で問題にされれば、何も邪魔にならないのです。それが念仏の教えであります。
さて、ある時次のような話を聞かせていただきました。それは、田舎を離れて都会で一人暮らしをしている娘さんが、都会での一人暮らし、仕事・人間関係に疲れて悩むことがあり、生きていく力がなくなって、死を考えて部屋の中の整理をしていたそうです。その時何気なく手に取ったのが、数年前に亡くなったその方のお母さんの声が入ったカセットテープでした。再生して、お母さんの声を聞いているうちに、お母さんの声が「生きてね」と響いているように感じられ、生きていく力が出てきたと語っておられました。
生きていかなければならないと自分で自分を責めたり勇気づけたりするのではなく、すでに願いの中に生きていた、そのことへの気付きによって、立ち上がる勇気を賜るのです。
昔の方は、仏さまのことを、おや様と呼んでおられました。それは、人の子として生まれたわたし達を、再び本当の人間として誕生させてくださる親という意味で使われたのでしょう。ちょうど、その娘さんが亡きお母さんの声によって、生まれ変われたように。
「今、あなたが虚無感と孤独に悩まされていても、あなたは一人ではない。あなたと同じように悩み苦しんだ。その悩み苦しみを無駄にしない教えに出遇い、願いに目覚めて豊かな90年を生きることができた。それがわたくし親鸞である。わたしは今、南無阿彌陀佛のいのちとなって、念仏するあなたを生きている」、このように「今、いのちがあなたを生きている」を聞きたいと思います。

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