ラジオ放送「東本願寺の時間」

川瀬 智(三重県 真正寺)
真のリハビリテーション [2008.9.]音声を聞く

おはようございます。
さて、前回も登場した私の母は、以前、腰すべり症と診断され、寺から60キロほど離れた、岐阜県の整形外科に2カ月間入院しておりました。ある夏の夜「腰がだるいからお先に」と、母はいつもより早く、休みました。
お寺とは、本来お参りすることによって、自分を見つめなおす大事な道場であります。
だから、母は、家族の中で一番早く起き出し、本堂のとびらを開け、いつでもお参りできるようにしています。
ところが、翌朝、私が起きてみると、本堂のとびらは、閉まったまま、そして、仏様にそなえるご飯が、準備されていませんでした。
私は、あーあ母もたまには寝坊するのだなと、そのままにしていました。
しかし、母が起きてくるのがあまりにも遅いので、私は、部屋を覗いてみました。
すると、ベッドに横たわった母が、「起きられない、昨夜トイレに行ったら、部屋へ帰るのに2時間かかった、猛烈に腰が痛くて、動けない」と言うでは、ありませんか。
これは、ただごとでないと、以前、私が、お世話になった整形外科に、連絡したところ、直ぐにつれてきてください、ということで、私は、車の後部座席を倒し、布団を敷き、母に肩を貸し部屋から、よちよち歩きの赤ちゃんよりも遅い速度で、車まで運び、急いで病院に行きました。
病院の方は、苦痛にゆがむ母の容態を察し、レントゲン等の撮影を早めてくださいました。
そして、院長先生は「腰すべり症、即入院」と宣告されました。
すぐに、看護師さんから「入院は、大部屋にしますか?個室にされますか」と聞かれました。
母は、「個室じゃなく、大部屋で」と言いましたが、私は、人一倍気を使う母を思い個室をお願いしました。
しかし、心では「厄介なことになったな、長い入院になりそうだな、妻は仕事で家にいないしどうしよう」と母の心配より、自分にかかってくる負担を心配している私がいました。
そして、私はいつしか、毎日病院通いを続けているうちに、「なーんだ!母がいないとこんなに楽なんだなー!」と思うようになっていました。
そして、母も、ようやく退院し、近くの病院に変わり、通院できるようになった、ある冬間近いぽかぽか陽気の日、腰すべり症治療の経過を見てもらう為に、母は、病院に出かけました。昼過ぎ、陽気に誘われた私が、珍しく車を洗っていると、境内の砂利を、踏む音がしました。どうも、母の歩く音のようです。
腰を曲げ、頭を下げタイヤを、ブラシで擦っていた私の視界に、緑の靴先が見えました。
おかしいな、出かけるとき黒い靴を履いていたのに、と思っていると、その緑の靴に「リハビリ」という白い字が浮かんでいました。私が、体を起こして母を見ると、母は、照れ笑いを浮べながら「リハビリ室のスリッパのままで帰ってきた、バスの運転手さんに言われるまで、気付かなかった。歳だね」と言って、家に入っていきました。
しかし、私は、そのリハビリという文字が、頭から離れませんでした。
リハビリ、その意味は、一般に、単なる身体的な機能の回復のための訓練と理解されています。
しかし、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』には、リハビリテーションの語源はラテン語で「本来あるべき状態への回復」とあります。
母は、私が、スキー事故で、鎖骨複雑骨折・肩骨折で入院し、退院後、筋肉の萎縮により、激痛に襲われた時、毎日、朝昼晩とマッサージしてくれました。
仕事で出かける時、出口まで送ってくれる母。先回りして私の世話をしてくれる母。そんな母を、自分の気分で疎ましく思ったり、お節介に思ったり、どれだけ大事にしていただいても、感謝できない私でありました。
私は、いつも自己中心的であり、自分の欲と都合と計算で暮らしながら、その自分の生活感覚を疑うことが、ありませんでした。
親鸞聖人の教えを聞くことは、自己中心的な生き方をしない人間に変わることではありません。
私達は、いつでも、自己中心的にしか生きることが出来ない愚かな身であると、仏様のはたらきに照らされ続ける生活を賜ることこそ、真のリハビリテーション「本来あるべき状態への回復」だと、母の闘病生活を通し、気付かせて、いただいきました。

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