ラジオ放送「東本願寺の時間」

川瀬 智(三重県 真正寺)
私はハサミ [2008.9.]音声を聞く

おはようございます。
念仏申す人々にとって一番大事な法要である親鸞聖人の報恩講中に、子供さん対象の子供報恩講を、してみえるお寺があります。子供報恩講ですから、幼稚園から、小学校6年の子供たちが、対象です。しかし、講師として話す私は、子供さんに解ってもらえる話をすること、どんな題材がいいか報恩講が近づくと憂鬱になります。
2006年の子供報恩講は、どうしようか、とそろそろ憂鬱になりだした頃、金沢の崇信(そうしん)学舎から送ってくださる、月刊聞法通信「崇信(そうしん)」12月号をいただき、これだと叫んでいました。そこには、
子どもの字で手書きされた、元九州大谷短期大学教授・平野修先生の言葉がありました。
あいつはキライ
これはダメ
あいつは困る
こいつはいい
と切り続ける
私はどうも
ハサミのようだ
そして先生の言葉の下に、体と同じぐらい大きいハサミを持った、子どもの絵が画かれていました。このハサミを持った大きな子供の絵と文字を書き投稿したのは、小学校6年生の越本了潤君です。すごいな、越本君は、平野修先生の言葉が、今生きているこの自分自身を言い当て、気付かせてくださった、と感動し投稿したのだ。
なんてすごいことかと思い、よし、これを使わせていただこうと、子供報恩講で大きくコピーをし、見せながら話しをしました。そうしたら、話を聞いていた男の子が、「僕もハサミだ。家には、お祖母ちゃんがいる、僕が学校から帰ってくると、宿題が終わるまで、僕の机の横で見張っている。そんな時は、こんなお祖母ちゃんがいないほうがいいな、と思う。
でも、薩摩芋の収穫手伝った時、「よう手伝ってくれたね。これはお駄賃」と言って500円手に握らせてくれた時、お祖母ちゃん100年ぐらい生きてて欲しいと思った。自分の都合でお祖母ちゃんが居ないほうがいい、居たほうがいいと思うのは僕もやっぱりハサミだね。」と言ったら、多くの子供が、僕も私もこんなことがあったと発言し、子供報恩講は大成功のうちに終わりました。
書院でお食事を戴いていると、一人の女の子が訪ねてきてくれました。そして、「先生そのハサミの言葉コピーさせてください」と言います。貸してあげると、しばらくして返しにきたので、「どうするの」というと「お母さんとお祖母さんと私の部屋に貼って一日一回読むようにするの」と言って帰ってゆきました。住職さんによれば、女の子は中学2年生、父を事故で亡くし、母・祖母との3人暮らし。子供報恩講に小さい子の面倒を頼んでいるのだということでした。
しばらくすると、お祖母さんお母さんと女の子が、それぞれ資料を持って書院に訪ねてみえました。なんだろうと思っていると、お祖母さんが「何で私がこんなものを部屋に貼って毎朝読まないかんのです?どういうことです?」ときかれました。私がきょとんとしていると、今度はお母さんが、「お祖母ちゃんが読まねばならんのはわかりますけど、どうして私まで」と、平然とした顔で言われました。それを聞いて、女の子は「どうして、お祖母ちゃんと、お母さんはそうなの、いつも喧嘩ばかりしているの、みんな自分はいい人間にして、何時も欲と都合のハサミで相手ばかり切るの」、と言って涙を流して訴えた後、「でも自分も同じハサミだったね」と言って、次のように続けました。
「この前、高校の進路の話しがあった時、あなたは何処にするかと先生に聞かれて、寮のある国立高等専門学校に行きたいと答えた。そう返事した心の中には、あんなに何時もお祖母さんとお母さんが喧嘩をするような家にいるなら、寮に入り5年間自分だけ安楽な生活をしようという気持ちもあった。今日のハサミの話を聞いて母も祖母も、お父さんが私の5歳の時に亡くなってから9年間、二人で大切に育ててもらった。二人が喧嘩をする時、ほとんど私のことでの意見の食い違いだった。そんなに、私を大事に思ってくれている二人を、切ってゆこうと思ったハサミの様な私でごめんね。」そういって、涙を流し、頭を下げた時、お祖母さんとお母さんが、私たちこそごめんねと彼女の手をとって、3人が肩を寄せ合いました。

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