ラジオ放送「東本願寺の時間」

川瀬 智(三重県 真正寺)
背く私 [2008.9.]音声を聞く

おはようございます。
あるお寺でこんな話を聞かせていただきました。
お盆の近づいたある日、故郷の家を離れ遠方に勤めるその寺に所属される門徒の方から現金書留を、75歳の住職のお母さんが、受け取り、中をあらためると、かなりの金額が入っていました。
少し遅れ速達が届き、「今年は、母の初盆、長男が東京、次男が大阪で外資系金融機関に勤務している。
特に次男はこの春入社、お盆休みは無い。初盆をすれば、お祖母さん恋しさに休みを取りお参りに帰るだろう。次男は今、大切な時期であるから、初盆で故郷に帰ることは出来ません。
そこで、お寺さんの本堂で、母の初盆を、また、お盆が近づきましたら、お墓を洗って、御花をお供えいただき、墓経をお願いいたします。念のために、その様子を写真に撮りお送り頂きたい」という内容が書かれていました。
その手紙を読んでご住職のお母さんは、ご住職とその奥さんを呼び、「こんなこと言ってきたよ、失礼な人だ」と怒りながら相談をされました。
けれど「お母さん、今回はこの方のご意思を尊重しましょう」とご住職の奥さんの言葉に従いました。
そして、ご住職が、お墓を洗い、お花をたむける姿を写真に収めて、お盆最終日の夕方、本堂にてご依頼人のお母さんの初盆を終え、住職は奥さんと、境内地にあるお墓へと行きました。今まさに、お経を読もうとした時、「ちょっと待って、ちょっと待って」と呼ぶ、住職のお母さんの声に振り返ると、そこに東京と大阪に住む二人の兄弟が立っていました。
そして「やはり、この子達は、お祖父さんやお祖母さんに、会いに来てくれたね」と涙をため、住職のお母さんが言われました。お経が終わり、お墓の前で住職さん、住職の奥さん、息子さん達一緒の写真も写しました。
「どうして来たの、お父さんから連絡無かったの」と聞くと、「どうしても来たかった」と弟が言いました。
実は、この兄弟は、転勤族の両親と離れ、小学5年生と小学1年生から父の実家の祖父母に育てられたのです。十分な教育をと、お祖母さんは免許を取り、孫たちの塾通いの送り迎えを、お祖父さんと共にされ、そのお蔭で、長男は東京の大学に入り就職、その2年後、お祖父さんが亡くなりました。次男が京都の大学に行き、師走にマンションへ食料を届け、部屋の掃除をし、「もうすぐ冬休み、実家で待っている。来年3月の卒業式が楽しみ」とのメモを残したお祖母さんは、帰宅途中、交通事故に遭い亡くなったそうです。
さてお盆が終わり、寺から送られた写真に、お墓の前で、息子二人が写っているのにお父さんは驚きました。
お父さんは、怒りに燃え、「どういうことだ、お前達の為に初盆を止め、お寺にお願いしたのに」と叱ると、
次男は「お父さんやお母さんは、何時も遠く離れていて、僕や兄さんが、どれほどお祖父さんお祖母さんに大事にされ、お世話になったか知らない」と電話を切りました。
一緒に聞いていた奥さんが、「子に教えられとはこのことね、お父さん、私達も、お寺に参ろう」ということで、飛行機に乗り込みました。
しかし、お父さんは、言う事を聞かなかった息子達が、忌々しい。お寺に書留でお金を送ったのに。訪れる為の経費等を思い、ぶつぶつ言いながら寺までやって来たそうです。
そして、寺の伝道掲示板に書かれてあった愛知県の児童養護施設「暁学園」の施設長だった祖父江(そぶえ)文宏氏の、
背いて生きてきた
欲望ばかりに従って
あなたに背いて生きてきた
の叫びが「この私のことだ」と心に飛び込んだそうです。そして、お父さんは「孫である二人の息子が、祖父母の慈しみによって育てられたことを感じている。実の息子である私は、本当に愚かだ、自分の欲望ばかりに従い、両親に背いてばかりだった、そんな私をよく息子と呼んで下さった」とお父さんが言われた時、
住職は、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」が、祖父江文宏氏の詩に表現されている「背いて生きてきた」と目覚めさせるはたらき、大いなるいのちとして生きてはたらいて下さる「阿弥陀仏」に照らされ、そのはたらきに任せ生きていくことが、テーマを頂く事だと気づかされましたと仰いました。

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