ラジオ放送「東本願寺の時間」

岸本 惠(滋賀県 敬圓寺)
いのちは誰のものか その4 [2008.11.]音声を聞く

おはようございます。私はお寺の長男としてこの世に生を受け、その寺を継いでいくものとして育ちました。親鸞の仏教に親しむ、誰よりも恵まれた環境と言ってよいと思われるかもしれませんが、青年期の私はひたすら寺から逃げ出すことしか考えていなかったのです。僧侶が魅力的な職業とはとても思えなかったのです。高校生のときガールフレンドができた時も、浅はかな考えで「僕は寺の息子やねん」と告白しないで黙っていれば、隠し通せるものと思っていました。その彼女から「あなたは、お寺の息子なの」と問われた時、まさに顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした事が忘れられません。
数年前、反社会的なカルト教団に入信し、罪をおかした青年に、「その宗教に入信する前に、お寺や教会にいって悩みを相談しようと思わなかったのか」と問うた人がいます。その青年は「お寺は町の風景でしかない」と答えたそうです。風景とはどんな風景でしょうか。生きては神様、死んでからは仏様という言葉があります。生きている間の願い事を聞いてくれるのが神社の神道で、死んだ人の霊魂を慰めるのがお寺の仏教という役割分担ができあがっているのが日本の宗教事情だという意見があります。カルト教団の青年が言ったのは人間関係や進路の悩み事をかかえた人に、お坊さんが答えてくれるとは思えなかった。葬式と法事の時に衣を着て、お経の配達をして死後の世界のために忙しそうにしている、それが「お寺は町の風景だ」という言葉だと、私は受け止めました。この言葉はお寺に生まれ育った私の、寺に対する劣等感の正体を言い当ててくれました。
仕方なく運命として与えられた環境に順応して、生きていく。それは目に見えない誰かに操られている操り人形のようなものです。仕方ないと言うのはまさに私の人生の過ごし方そのものでした。寺の長男だから仕方ないと、いやいや僧侶の資格取得のため大谷専修学院という学校に入学したのですが、その学校にくるお寺の子女達の全員の暗い表情を見て、「私一人が特別でなかったんだ」と、慰められた気分になったものでした。
浄土真宗では檀家の方を門徒といいますが、その門徒の方は寺の者がお経を読んで、死んだ人の霊魂の慰め役をして、上座でふんぞりかえっていると見ておられる。何か特別な聖域に守られているその姿勢を、肌をもって感じておられるのです。表面上、家の安泰のためには僧侶を呼ばないと法事が終わらないので、丁重に対応して下さいますが、法事の場を迎えて「やれやれ」と疲れた表情をする門徒の姿は、寺を継がなければいけない寺の子女達にも暗い影を落としていったのだと思います。
すでにお亡くなりになっていましたが、先ほどもご紹介しました大谷専修学院の院長であった信國淳先生が寺の子女である私たちに「君達は真宗大谷派が、親鸞聖人の教えを伝える場として機能しなくなった時代に生まれた。寺に対し劣等感をもつその皮膚感覚こそが、親鸞聖人の教えをよみがえらせる原動力となって動き出す日を期待する」と語られています。「私たちの先輩にはこんな願いをかけて下さる人がいたんだ」と、大変びっくりしたものです。そんな情熱をもって語られる親鸞の教えを、真剣に学んでいかなければと思ったものでした。と、同時に寺というものを偏見でまちがった受け取り方をしている自分にも、恥ずかしいものを感じたものです。
親鸞の浄土真宗の教えも学ぼうともせず、偏見と先入観で劣等感の固まりの私でした。しかし、その愚かな偏見の身を通してしか受け取れないもの、それが私にとっての浄土真宗でした。

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