ラジオ放送「東本願寺の時間」

岸本 惠(滋賀県 敬圓寺)
いのちは誰のものか その5 [2008.11.]音声を聞く

おはようございます。あるカルト教団に入信し、罪をおかしてしまった青年信者が語った「お寺は町の風景だ」との言葉に、浄土真宗の宗祖・親鸞が今、生きておられたらどんな生き方をされるだろうか、そんな事をお話しできたらと思います。
ちょうど、僧侶として生きていこうとしている親鸞においても、その姿勢を厳しく問われる事件が起こります。それは「親鸞聖人正明伝」という親鸞の伝記に出てくる事柄です。親鸞は九歳から29歳まで、比叡山において天台宗の修行時代を過ごされました。町に出かけ、用を済ました親鸞は、比叡山に帰る途上、麓の赤山(せきさん)神社にたどりつきました。一人の女性が親鸞に声をかけ、「もし、お坊様、私もお山に連れていって下さい」と懇願をされたのですが、当時の比叡山の宗教は女性が入るのを禁止している女人禁制のしきたりがありました。女性に「それはできません」と断ると、その女性から「山には鳥や獣のメスもいるでしょう。仏教は老若男女、裕福な者、貧しい者の違いなく救われていく教えではないのですか。山の水が谷底にゆき渡るように、町の人びとの中に広がってこその仏教ではないのですか」と詰問されるのです。そのことを通して親鸞は「自分がやっていることは何なのか」と、疑問を抱く様になったというのが「親鸞聖人正明伝」の内容です。そのことだけで親鸞は山での修行を、すぐには止めることはできませんでしたが、親鸞の教えの根幹である「人びとの現実生活のなかで生きて働く仏教」という性質を表わしています。そんな親鸞の教えは在家仏教といい、世間と隔離された山で厳しい修行に耐える出家仏教とは一線を画します。在家仏教は町の仏教、出家仏教は山の仏教だと私は理解しています。
親鸞が山の修行に疑問を抱いていた時に、京都・東山の吉水で新たな仏教の可能性を求めて道場を開いていたのが、後に生涯の師匠として仰いでいかれることになった法然上人でした。赤山神社で女性から詰問された課題に答えて下さる法然上人の門をたたくようになるのは、当然のなりゆきだったのです。
さて、親鸞が晩年まで忘れることがなかった法然上人の言葉があります。それは「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」という言葉です。愚者とは愚かな者のことです。ここに親鸞が生涯をかけて明らかにした人間像が示されています。一般的に仏教といえば悪人が改心をして善人になり、愚か者も仏教に触れているうちに賢くなっていくのが仏教の要とされました。
ところが、法然から親鸞へと伝えられた仏教は、そのような事は生身の人間にはなりたたないと言われるのです。人は学問すれば優秀だとほめられ、優秀でない人との比較でランクづけします。また、経験をつめば未熟な人を見下す性質を合わせもちます。人より一つ勝れたものをもつことで軽蔑、差別の種が芽をふきはじめるのです。愚か者となっていく道具がこの世には満ちあふれている。しかし人間には人を軽蔑してしまう愚かな自分と一生向き合って行く事も可能なんだと親鸞は言われるのです。それはいじめとか、軽蔑するのが人間なのだと開き直るのとは全く違う愚かな自分に目覚めつづけて行く道、これが親鸞の仏教です。それをあたかも仏様に照らされているようだと言われるのです。
1998年の統計で、一年で捨てられた日本の残飯は700万トンでした。一方、世界では飢え、あるいは飢えにおびえて暮らす人が12億人といわれます。そんな不平等な世界にいて、私たちは、飽食の暮らしを続けています。親鸞が生きていたらそれを町の現実なのだと見られたと思います。今一度、親鸞の言われる愚かな者と気付いていく事、そこから第一歩は始まるように思います。

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