おはようございます。「いのちは誰のものか」というテーマのもとにお話を続けまいりましたが、今回が最終回となります。前々回も申し上げましたが法事に呼ばれた方が疲れた表情で終始、下を向いておられる事が気がかりです。無宗教を自認する人が日本人の大半だとも言われます。それは仏教が自分の生き方と何の関係もないところで営まれていると、考えていることが原因しているようです。そういった人たちにとって仏教は誰のものかというと、死をまじかにした年寄りのものであったり、死んだ先祖の霊魂を鎮めるものになっているからです。優秀な青年が社会と自分の救いを求めて反社会的なカルト宗教に入信する。そこに追い込んで行った私を含む宗教にかかわるものの責任を感じます。
反社会的なカルト宗教の信者の青年が、犯行後、「この教団に入れば、人類を救済することができる、と言われ救いの答えがここにあるとうぬぼれていた」と告白しました。親鸞は『歎異抄』のなかで「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と述べられています。修行を積めたとしても、地獄が私のすみかです、と告白されるのです。世界じゅうに無数にある宗教が地獄に堕ちないように救済を謳う中にあって、親鸞だけは地獄の身から離れられないと言われました。しかも、そのなかでゆうゆうと大地に根ざして生きておられる。罪を犯した青年が苦悩の末にたどり着いた心境と言うのは、親鸞の心境に通じるものがあるように思います。いくら修行しても人は神になどなれないと、宗教的な何かの力ですりかえたり、ごまかしたりするみせかけの救済から、人々を救いとげたいという親鸞のまなざしを感じます。
第一回に少年時代のお釈迦さまの物語で「いのちはだれのものか」との問いに「すべていのちは、それを愛そう愛そうとしている者のものであって、それを傷つけよう、傷つけようとしている者のものではないのだ」と答えるのが仏教だとご紹介しました。しかし、親鸞は『歎異抄』の中で、「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野やまにししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきないをもし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と、動物の殺生にかかわる仕事のために、当時の社会から偏見の眼差しを受けていた人たちにも、いのちをつないでいく手段としての仕事を恥じることなどないと言われました。「いのちを傷つけようとしている者」とは、自分自身の現実を言い当てるための言葉として読まなければいけません。
「外(ほか)に賢善精進の相を現ずることを得ざれ」という中国、唐の時代の善導大師という方の言葉があります。親鸞が大切にされた言葉ですが、現代語にすると「外見を賢く、善人をめざして努力しているような姿を現すことは意味はない」となります。平安時代の仏教は、修行に励み精進すれば愚か者は賢く、悪人が善人になれるという一般民衆の願望に答えたのです。それは人間をすりかえ、ごまかすようなようなものだと親鸞は言われるのです。親鸞は民衆の間に浸透した仏教理解からの解放を願いとされ、地獄こそ私のすみかと言われたのです。
第一回にお話した「いのちはだれのものか」というお話のなかで、鳥のいのちを傷つけようとしたのはお釈迦さまの従弟の提婆達多でした。その提婆達多こそ、まぎれもないこの私の正体だと、自分を発見する歩みが親鸞のいのちを愛そうする生き方なのです。それが「愚かな者となりて」とか、「地獄一定」という言葉になりました。世間体を気にして自分の気持ちを語れないと、悩みを一人で抱えた人が「この人ならしゃべってみたいな」と、そんな一人の人間の出現が願われています。その人は「いのちを傷つけようとしている提婆達多(だいばだった)」こそ、この私だと知る人なんだと思います。