おはようございます。
お寺の中で生活をしていますと、案外、鈍感になって、葬儀や法要で、「いのちはかりなし」ということ、「ナンマンダブツ」ということを感じることには、なかなか出遇いません。しかし、この方の場合は7回忌の法要を勤めさせていただいた今でも、鮮烈な記憶が呼び起こされます。
7年前の4月初旬のことです。その頃私は息子に住職を譲ったばかりでした。未明に、お知らせをいただいて、住職と一緒に、亡くなられた方の枕元で読経をさせていただきました。
5歳の男の子を頭に、長女、次女と授かった、3人の子供の内、一番下のまだ2歳にならない女の子が、土曜日の夕方から具合が悪くなり、あの病院この病院と回っても、原因が分からず、結局大学病院にまで診察いただいたのですが、原因不明のまま、一日で死亡してしまいました。
新しい家を新築して、親から独立して夫婦子供(おやこ)水入らずの生活を始めた矢先のことでした。若い父親にとっては、よほど大きなショックだったのでしょう。
枕元の読経のときもただぼんやりと座っているだけで、挨拶するでもなく、心に受けた傷の大きさが私にも感じ取れました。
葬儀の時も、私どもにはもとより、ご参列の方々にも「なんで、おれはここにいるのだ。なんで、坊さんが来ているのだ。」と若い父親が大声でいうのを、これも若い母親が、必死で支えておられるのがよくわかりました。
家族・親族はもとより、母親の勤務先の保育園の園児や同僚の先生方、亡くなった娘さんと同じ年齢の子どもの母親達の、表現しようのない、悲しみの深さに、私どもは身を切られる思いでした。
葬儀が終わるとこの地方の習慣で、7日ごとに四十九日忌までお参りにまいります。
若い住職の考えでは、信者の方のお宅でのお参りはできるだけ家族の方々といっしょにお経を読むという方針もあって、このお宅の場合は、夕方、夕食前に家族揃ったところで、正信偈同朋奉讃という、真宗門徒にとって一番なじみ深い形でお参りをするということになりました。
それでも、若い父親は本は開くのですが、声にはならず、ただぼんやりしていました。母親は気丈に振る舞っているのですが、遺影の前に座ると涙するばかりでした。
この両親を立ち直らせたのは、きっと残された2人の子供達であったのだろうと思います。
お参りに行くと2人の子供達が遺骨と遺影の壇の前に座って、「お父さん!お母さん!時間だよ。正信偈をあげようよ!」というのです。
幸い若い父親の勤務先の会社の社長さんも「仕事が出来るようになるまで、ゆっくり会社を休んでいいよ。」と仰ってくださったので、正信偈をお勤めすることが日課だったようです。
そして1年が過ぎて、1周忌の法要を終えて、お斎という、仏事のときにいただくお食事をまえに、その若い父親が挨拶をしました。
「本日は、娘の一周忌を勤めることができまして、本当にありがとうございました。実はこの一周忌を前に長男の満6歳の誕生日のお祝いを家族だけで致しました。今まででしたら、長男もやっと六歳か、来春は小学校か、それから中学校、そうして高校か、まだまだ先は長いなあ。一人前になるには時間もかかるしお金もかかるなあ、と考えていました。しかし、昨日、長男の誕生日をしてみて、つくづく気がつきました。よくぞこれまで生きていてくれたと。生きているってことは奇蹟なんだと気づかされました。私たち家族は一日一日を大切に、一生懸命生きて行きたいと思います。本日は本当にありがとうございました。」
私は僧侶をしていて良かったと感じた時間でした。同時に、僧侶は正信偈を読み、教えることはできても、人間を救うことはできないのだということを、心底、思い知らされました。
救いに遇(あ)うという事実は、その人本人の自覚に基づくものであるという、当たり前の真実を改めて認識させられた時でもありました。