ラジオ放送「東本願寺の時間」

佐々木 祐玄(新潟県 光善寺)
第6話 如来、国境を越える  [2009.2.]音声を聞く

おはようございます。
昨年9月初旬、東欧ルーマニアの親族訪問から帰国した長男が、連れ合いユリアの母、エリザベタの体調がすぐれないといいます。数えてみればエリザベタは私より11歳年上だから今年は満77歳になるはずです。長男が周囲の反対を押し切って、ルーマニア女性ユリアと結婚して13年にもなります。
その間、私は、実の両親、養母、妻を送り、外孫3人、内孫2人を得ました。そして、ユリアと結婚した長男が寺を継ぎました。
住職退任後、毎年2週間の休暇をもぎ取って、ヨーロッパ一人旅をしている私は予定を変更して、今年はルーマニアにエリザベタを見舞うことにしました。考えてみれば77歳はルーマニアでは、まったくの高齢者です。もしかしたら、今回が会って話ができる最後のチャンスかもしれないと思いました。私にとっては5回目のルーマニア行きです。
エリザベタは今は亡き彼女の母、私の長男の妻にとっては祖母にあたるナデジタと共に70数年の激動の歴史をかいくぐってきました。
60数年前、当時のルーマニア領ベッサラビア、現モルドヴァ共和国から、ソ連軍に追い立てられるように、着の身着のままの逃避行でブカレストまでたどり着いたといいます。その理由は父がルーマニア正教の牧師だったからだといいます。
私の長男、ノリオが結婚を決意して、ルーマニアでユリアの両親とその家族に会ったとき、母親エリザベタは大変心配し、反対したけれども、当時88歳で健在だった、祖母ナデジタは、
「私は心配していない。ノリオが私たちに言った、
『ユリアとの結婚を許してください。一生懸命努力しますが、ユリアを幸せにできるかどうかは分かりません。しかし、僕が幸せになることだけは間違いありません』という申し入れの言葉を確かに聞いた。貧乏牧師だった夫が私の父に結婚を申し入れた言葉と同じだった。私たちは一生苦労の連続だったが、子供や孫を授かり、苦労そのものが幸せであったと思っている。違う国で生活するのだから、苦労するのは間違いない。けれどもきっと、苦労の中に幸せを発見するだろう。」といったそうです。
エリザベタのその心配は、実に私たち夫婦の心配でもありました。それから13年たった今も、不安も心配も絶えたことはありません。ふたりの子供に恵まれた、若い住職夫婦も苦労の連続だろうと思います。
「差異(ちがい)をみとめる世界の発見」は蓮如上人五百回御遠忌のサブテーマです。大乗仏教の教えに出遇い、その精神に生きようとするとき、壁を作っていたのは自分であったと気づかされて、はじめて発見する世界なのでしょう。しかし、現に生活している現場では、違いを認め合うことがいかに難しいことであるかを知らしめられます。
「俺の方が正しい。ここは日本だから、」「いいえ、私が正しいはずです。私はルーマニア人なのですから、」といいあうのです。
平行線をたどりながら、苦労の戦いは続きます。でも不思議なことに、平行線で超えられない壁はあっても、その平行線は離れたり、交差することはないようです。
EU加盟で経済発展が始まったこの国の年金生活の苦労の中で、エリザベタは、手作りのごちそうと私の大好物のルーマニアのお酒、ツイカを用意して迎えてくれました。
「ユーゲンさん、生きているってすばらしいことだね。歳を取って、体も頭もきかなくなって、貧乏で意地っ張りのひとり暮らしだけれど、ユリアもノリオも孫のユミもノゾミも、毎年訪ねてきてくれる。今年はあなたの娘のユウコとその子供達のリョウ、ナナコ、ワカコもみんなできてくれた。そして今度は、ユーゲンさん、あなたまで、私のことを心配してきてくれた。うれしい!ユリアが結婚して日本へ行くといったときの心配はなんだったのだろうね。誰かに心配を掛けてるってことは、愛されているって証拠だね。」といいました。
ひとり暮らし、年金生活、後期高齢者、次女ブリステナの勧める同居を拒否と、国は違っても、時代の苦悩は同じものを引きずりながら、おなじ「いのち」を生きているのです。
違いを超えることはできないけれど、国境を越えて、「いのち」はつながって生き続けるのだと知らされたときでした。

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