ラジオ放送「東本願寺の時間」

譲 西賢(岐阜県 慶圓寺)
第2回 ルサンチマン感情 [2009.5.]音声を聞く

おはようございます。
最近、若者らによる無差別の暴力事件が頻繁に起こり過ぎると思われませんか。私には、これらの悲惨な事件が、ごく一部の特別な若者によってのみ引き起こされているとは思えません。現代の日本のすべての若者に共通した心があると思えてならないからです。大げさにいえば、現代は、すべての若者がこうした事件を引き起こしかねない時代なのかも知れません。親や社会に認めてもらうには、「いい子」とか「一番」とか「完璧である」とか「資格を得る」とかの条件を充(み)たさなければいけないと、思わずにはいられない育てられ方をした若者は、これら条件を充たせないときには、「こんな自分ではだめだ。生きていけない」と大変な自己否定に陥ります。自分を否定するという辛いストレスが積み重なって、それらが外に向かって爆発的に吐き出されることが、こうした事件と考えられないでしょうか。
また、正反対の状態を示す若者もいます。社会生活ができず、自分の部屋や家に引きこもる若者の数は、現在150万人から160万人と推定されています。日本人の百人に一人が引きこもりということです。彼らも、「社会から認められるように、完璧な自分でなければいけない」という思いが強く、「それがクリアーできていないから、こんな自分は社会に受け容れられるはずがない」という自己否定の思いが強いようです。そして、かれらの多くは、自己否定感を癒すために、自らの手首や腕を傷つけるリストカットを繰り返すしかない生活に身を置いています。
世界一・二位を争う経済大国の日本が、経済的豊かさを求めるあまり、経済的に役立つ人間のみを求め、経済的価値がないと思われる人間を排斥する社会を作り上げてしまったのかも知れません。社会からも自分の親からも認められず、「こんな自分ではだめだ」と自己否定して生きていくしかない辛さを、私は、カウンセリングを通して、どれだけ多くの若者から教えられたことでしょう。その辛さを感じますと、胸が締め付けられます。
19世紀後半に活躍したドイツの哲学者ニーチェは、社会的に弱い立場にある人間の内面に潜む怨み・妬み・復讐衝動などの感情をルサンチマン感情と表現しました。現代の日本において、周囲から「いい子」「一番」「勝利」「完璧」「資格」とかの条件を押しつけられて育った子の多くは、これら条件をクリアーして周囲から認められたときのみ安定できます。そのときには、他者を見下し、威張り、人間関係がうまくいかなくなることも多いようです。一方、条件のクリアーに失敗したときには、周囲から排斥され、自己否定に苦しみ、心の内面には、ルサンチマン感情を蓄積しているのではないでしょうか。多くの悲惨な事件も引きこもりも、傷ついて癒しを求める心は共通しているように思えます。現代社会は、周囲からの条件をクリアーしなければ、存在価値がないような錯覚を与えているのではないでしょうか。
親鸞聖人は、阿弥陀如来のはたらきかけを「そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしてたちける本願のかたじけなさよ」と受け止めておられます。たくさんの条件が充たされなければ、自己の存在価値がないと悲観したり、逆に条件を充たしているから「どんなもんだい」と威張り、周囲を見下したりする私たちだから、阿弥陀如来の方から気づかせてくださいます。そして、人間が存在するのにクリアーしなければいけない条件なんてないよと励ましてくださいます。違いがあっていい。みんなちがってみんないい存在なんだと気づかせてくださるのです。
若者が示すこれら問題行動から、社会が人間の存在価値について、今こそ問い直してみるべき時ではないでしょうか。

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