ラジオ放送「東本願寺の時間」

譲 西賢(岐阜県 慶圓寺)
第4回 ともに生きるということ [2009.6.]音声を聞く

おはようございます。
私は、大学でカウンセリングを行っています。そのなかでさまざまな学生に出会います。プライバシーに配慮して具体的な状況は変え、ある学生のことをお話いたします。
その学生は、大学の文学部を2年生で退学しました。高校を卒業する時点では、将来どう生きていきたいのかわからず、親の勧めもあって文学部に入学したけれども、2年間大学で学んで、自分のやりたいことは文学ではないことがはっきりした。今までは親の意見にしたがってきたけれども、そのことが一番問題であると気がついた。文学以外の何をしたいかは、まだはっきりしないけれども、親の力を借りずにいろいろ試しながら、将来のことを考えていきたいとのことでした。
これに対して親御さんは、「この子は寺の次男で、いつも決断ができずアドバイスを与えるうちに、この子は親がついていないとだめだと思うようになり、私の思い通りに育ててきました。二十歳になって、初めて自分の意思で、親の選択にノーと言いました。この子は決断ができないというよりは、私が決断できないようにしていたのかも知れません。この子の意思が示されるまで待つことをしてこなかった自分であったと気づかせてもらいました」ということでした。
自我心理学者のエリク・エリクソンは、人間の心の発達の特徴の一つに、相互性を挙げています。人間は、社会と相互に影響し合って発達するということです。親子では、親は子を育てますが、子も親を育てるということです。親の立場からは、自分が子どもに育てられるとはなかなか自覚できません。自分は落ち度なく、完璧に正しく子育てをしている。しなければいけないと気負いがちです。その親が、子どもに育てられるのは、親の思いが潰され、期待がはずれるときが多いのではないでしょうか。この学生の親御さんも、自分の勧めた大学を子どもが退学するという事態に直面して、それまでの一方的な親の姿勢に気づかれました。思いが潰されて、親は子どもに育てられていくのかも知れません。
私は、住職と大学の仕事の都合上、帰宅は夜遅くなります。その都度、家内が玄関先で「お疲れ様でした。お風呂になさいますか。コーヒーいれましょうか。肩揉みましょうか」と出迎えてくれたらいいなと思いますが、結婚以来30年、ほとんどそんなことはありません。私の思いは潰され続けています。でも、そのお陰で、私は、「妻は、夫の思い通りになって当たり前」という私の本性の危なさに気づかせてもらいました。私の思いを潰してくれる家内によって、私は育てられてきたのです。「悪妻は、夫を育てる」は、理に適っているのかも知れません。
臨床心理士の私は、今、岐阜県のスクールカウンセラーのスーパーバイザーをしていますので、多くの小中学校を訪問します。最近、発達障害といわれる児童・生徒・学生が増加して、小学校から大学まで、その対応に追われています。発達障害にはさまざまな特徴がありますが、それらの中で代表的なものは、広汎性発達障害といわれるものです。相手の感情を理解することが苦手で、自分なりのやり方やパターンにこだわりがあり、学校では、先生方の一斉指導では成果があがらないことが多く、とてもご苦労されています。この発達障害といわれる子どもたちは、学校の先生を育ててくれていると私は思います。「指導書通りのワンパターンで教育は達成できませんよ。目の前の一人一人の個性を理解してください」と叫んで、教師を育ててくれているのではないでしょうか。
いかなる世界においても、私たちは、自分一人の心がけや努力、行いによって成長できる訳ではないのです。自分にかかわりあいのあるすべての人が、様々なかかわりを通して私たちを育ててくれているのです。そのお陰で、私たちすべての人間は、自分らしく育てられているのではないでしょうか。

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