ラジオ放送「東本願寺の時間」

久保 博巳(香川県 深妙寺)
第1回 「いのち」って何だろうか その1 [2009.6.]音声を聞く

おはようございます。今回から「いのち」って何だろうか?について六回に分けてお話したいと思います。
さて、皆さんは「いのち」のつながりについて考えたことがありますか。今ここに、そのことについて、わかりやすい形で表現されている絵本があります。サンマーク出版発行、作者は草場一寿氏の『ヌチヌグスージ』という面白い絵本です。「ヌチヌグスージ」とは沖縄の方言で「いのちのまつり」という意味です。沖縄では、おばあさんが自分のことを「おばあ」と言うようで、おばあが坊やに、「坊やにいのちをくれた人は誰ねー?」と聞きます。「それは・・・・・・、お父さんとお母さん!」と坊やは答えます。このように、いのちのつながりについてユニークな顔のイラストをはさんで展開していきます。坊やの頭の中で、いろんなご先祖の人の顔がグルグル回り、つながりの数が倍倍に増えていきます。そして、つながりあう一人ひとりの顔が、頭がズラーッと面白く並んでかかれ、何とも面白い本です。最後に作者は「今、光り輝いているいのちの物語を一人でも多くの人々に伝えてほしい」としめくくっています。
実は、この本のことをお話するに当たっては伏線があって、先日、ある方に「住職さんはお寺の何代目ですか?」と聞かれまして、「はい、二十六代目です」と答えたのです。そうしますと、「人間、二十六代で親が何人いると思いますか?」と、まあ難しい質問をしてこられたのです。そんなことは考えたこともありませんでしたので、「さあー?」と言葉を濁してしまいました。するとその方は、計算機を片手に、「三千三百五十五万四千四百三十二人ですね」と、いとも簡単におっしゃるわけです。考えてみますと、二十六代ということは、二十五代遡るわけですから、どんどんどんどん広がって、二十六代目の私にまで関わってくれたいのちが、三千三百五十五万四千四百三十二人にもなるということです。さらに、私のいのちの歴史ということになると、二十六代どころでありませんから、さて何人になるのでしょうか。
まあこんなやりとりがあって、自分なりになるほど「三千三百五十五万四千四百三十二人」かと感心したりもしたんですね。それから暫くたって、ある家で法事があって、人からの受け売りになるのでしょうが、教えてもらったいのちのつながりについて、お参りの方々にお話をしたのです。たまたまその中に小学三年生の男の子がいて、なにか賑やかにごそごそしながら、私の話を聞いていたようです。その後、改めてその家に月の御命日つとめにまいりましたら、おばあさんが留守で、法事のときにいた小学生のお母さんがおられて、私にお茶の接待をしながら、開口一番「住職さん、こないだ嬉しいことがあったんですよ!」と、涙ぐんでおっしゃるのです。実はついこないだ、小学校で授業参観日があって出席したら、そのときの授業が「いのちの学習」という時間だったそうです。最近、小学校ではこうした授業をやっているようで、先生がいのちについて、指導要領にもとづいて、まあたぶん生物学的にお話になるのでしょうが、そうした「いのちの学習」が授業参観だったのですね。その時に、自分の子供が手を挙げて発表したそうです。なんて言ったかというと、「僕はこないだお寺のお坊さんに聞いた。僕のいのちは三千三百五十五万四千四百三十二人のご先祖のいのちをもらって生まれてきた代表なんだ。そして、みんなが喜んでくれているすごいいのちだから、いっぱいいっぱい大事にして未来につないでいかないといけない」と言ったそうです。お母さんはもう涙涙で、「うちの子がこんなにすごいことを考えてくれていると思うと、嬉しくて嬉しくて」と、話してくれました。

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