おはようございます。前回は「大いなるいのち」について、鈴木章子さんの詩をご紹介いたしました。
さて、鈴木章子さんは、「死にむかって進んでいるのではない今をもらって生きているのだ」と、いのちの尊さに目覚めた喜びを表現されています。かたや私たちは、物質的ないのちにこだわり、反対に死に向かって進んでいるとひっかかってしまっています。お日さまを直接目で見ることのできないように、自分の死を直視することは恐いことで、見たくないものです。ましてや、死には五つの原則があります。死ぬときはいつも一人であり、死は代行不能であり、死は初体験が最後の体験と言われ、死は予約不能で、死亡率九十九パーセントではなく百パーセントです。考えてみれば、これらの死の五原則は至極当然のことです。当然なことだけど考えたくないし、逆にどこまでも生きたい。「死んでもいのちのありますように」と祈りたくなります。では、乗り越える方法はないものでしょうか。昔から人類の大きな問題となっていて、色々考えたのですね。まず、どこまでもいのち永らえたいものだと、不老不死の薬を求めました。親鸞聖人が大切にされた七人の高僧のお一人で、中国で浄土の教えを伝えられた、かの曇鸞大師とて不老不死の方法を説く仙人の教えに迷われたのです。そんなもの見つかるはずもありません。現代でも臓器移植や人工臓器をやっきになって開発しようとしています。それでも千年も生きられるわけではありません。不老不死にはほど遠いものです。ではどれだけ生きれば満足するのでしょうか。むしろ永遠の生命を授けると言われたらゾッとするのではないでしょうか。竹取翁もかぐや姫が天上に帰ったとき、失望から延命を捨て、彼女から貰った不死の薬を山の頂上で燃やしてしまいました。その煙は富士の山でいつまでも立ち上がっていたといいます。次に、肉体は滅びても霊魂だけでも残りたいと、そしていつかまたこの世に現れることを願いました。ミイラや輪廻転生です。よしんば再生しても幸せとは限りません。玉手箱を開けた浦島太郎が関の山です。どちらもありえないと考えた賢い人は、「せめて、虎は死んでも皮を残す、人は死して名を残す」と、何か自分のいのちの証しになるもの、色々な業績や名声を残そうと頑張ります。そして最後は、私という人間的な生命にこだわらない考え方です。自分だけの生命にこだわらず、大いなるいのちに覚めた人は、世界観や価値観が変わり、平常の生き方が変わり、より多くの人の為のはたらきが出てきます。宗教や宗派にかかわらず、その教えが本物なら、その人をして大いなるいのちに覚めた生き方に導かれるということです。すごく難しいことですね。
考えてみますに、私たちは、一日一日が、生まれては死に、生まれては死にを繰り返しているのでしょう。私どもの宗派である真宗大谷派とも深いご縁があり、医療と仏教のかかわりについて古くからお話くださっている田畑正久医師は、京都光華女子大学発行の『生きることの物語』(年)で、このことを受けとめられて、『遠い未来に「死」があるんじゃなくて、毎日死の練習をしていますよということが本当に智慧の眼でうなずけてくれば、死ということは仏さんにおまかせで、「私は今生きている、生かされていることを精一杯生きていきます。南無阿弥陀仏」と、それでいいんですよ』と言っています。私たちのいのちの本来のあり方は、願われ、支えられ、呼びかけられ、教えられているものです。それはつながりと歴史をもったいのちの姿であり、見えるいのち(生)は、見えないいのち(命)によって支えられているということです。
ここに松尾芭蕉の一句があります。「春雨や蓬を伸ばす草の路」少しうすら寒い春先、眼前に広がる田園の目の及ぶ限りに春雨がゆったりと降っている。この雨は天地のぬくもり、いのちのぬくもりであり、私のいのちのぬくもりだと喜んでいるのです。芭蕉の句には、詠まれる対象とそれを見ている芭蕉とが別々でなく、一人称の世界が表現されています。天地いっぱいのいのちの声を聞くような自然の調べが、そのまま私のいのちのぬくもりとなってくるような安らぎが心のすみずみにまで行き渡っていきます。それこそ、見えないもの、聞こえないものが、実は見えるもの、聞こえるものを支えていることを、私たちは心しないといけないでしょう。