ラジオ放送「東本願寺の時間」

茨田 通俊(大阪府 願光寺)
第1回 苦悩と向き合う人生 [2009.8.]音声を聞く

おはようございます。浄土真宗を顕らかにされた親鸞聖人がお亡くなりになって、まもなく750年になろうとしています。真宗大谷派(東本願寺)では、2年後の2011年(平成23年)に、この親鸞聖人の七百五十回御遠忌法要をお勤めいたします。
ところで親鸞聖人が生きられたのは、どんな時代だったのでしょうか。それは平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、世の中がそれまでの貴族社会から武士の社会へと大きく転換していく時でした。政権を巡って戦乱が度重なる中、当時の人々は大変厳しい生活を強いられました。さらに飢饉や疫病が追い打ちをかけ、都には死者が溢れ返っていました。否応なく世の無常を感じさせられる時代であったのです。
今日私たちが生きる時代の状況も、親鸞聖人の時代と非常に似ているのではないでしょうか。国内においては、毎年3万人を超す人が自らの命を絶っていますし、殺人等の痛ましい事件が後を絶ちません。世界に目を向ければ、民族・宗教の対立や政治体制の違いが原因で、悲惨な戦争が頻繁に起こっています。そして今や100年に1度と言われる経済危機に見舞われ、社会全体が不安におののいています。まさに私たちは大変な時代に生きていると言えるでしょう。
親鸞聖人は厳しい時代の中で、無常なる世の姿をしっかりと見定められ、自らが救われん道を求めていかれたのでした。幼くしてご両親と別れざるを得なかった聖人は、9歳で出家されます。比叡山での20年に及ぶ修行生活では、自身が救われる道を見出すことができず、大きな挫折を経験されました。
思い悩まれた聖人は、京都の六角堂に連日にわたって籠られます。そして救世観音の夢のお告げにより、当時吉水という所に住んでおられた法然上人のもとを訪ねられるのです。そこで遂に、ただ念仏すれば阿弥陀如来によってお救いいただける、という教えに出遇われました。
しかし、やがて念仏の教えへの弾圧により、師法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪になります。いったいこれほどの理不尽があるでしょうか。自らが救われる道としていただかれた念仏の教えが否定され、心から仰ぐ法然上人とは今生の別れを強いられました。親鸞聖人にはまさに耐え難いことであったと考えられます。
流罪になった聖人の目に映ったのは、越後の厳しい自然の中で、その日その日を懸命に生きている人々の姿でした。無常なるいのちを必死に生きているこの人たちこそ、まさに念仏によって救われるべき人たちであるといただかれ、自らもその一人として歩み始められたのでした。
やがて移られた関東の地でも様々な困難に出遭いながら、多くの人々に念仏の教えを伝えていかれました。京都に帰られてからも著作に専心されますが、晩年はご家族と共に暮らすこともなく、教えを誤って伝えた実の息子との縁を絶つという事件まで起こりました。このように親鸞聖人という方は、様々な苦難を経験しながら、九十歳で亡くなられるまで、ひたすら念仏の教えに生きられたのです。親鸞聖人のご生涯は、私たちが一般に考える尺度からすれば、とても幸せな人生とは言い難いものです。まさに苦労の連続であったと言えるでしょう。私たちが真剣に生きようとする時、苦しみや悩みは決して避けては通れないものです。そしてその耐え難い苦悩こそが、むしろ真実の教えに出遇える大切な御縁と成り得ることを、決して忘れてはならないと思うのです。
今回の御遠忌のテーマは、「今、いのちがあなたを生きている」というものです。この「今、いのちがあなたを生きている」という言葉は、親鸞聖人がその苦悩の人生の中で出遇われた救いの世界を表しているのでしょう。テーマに込められた願いを受け止めることは、苦悩の人生を生ききられた親鸞聖人の歩みが、750年という時を経て私の歩みになることに他なりません。それは、この苦悩に満ちた時代を生きる私たちにとって、大きな力になるのではないでしょうか。
次回から御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」について、ご一緒に考えて参りたいと思います。

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