ラジオ放送「東本願寺の時間」

茨田 通俊(大阪府 願光寺)
第6回 無常なるいのち輝いて [2009.9.]音声を聞く

おはようございます。親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」についてお話を進めて参りましたが、いよいよ今回が最終回となりました。
お釈迦さまは、この世の真実の相(すがた)は無常であるということを明らかにされました。この世にあるすべてのものは変化している。形あるものはいつか滅びる。生きている者は必ず死に行く。私たちは死すべきいのち、無常なるいのちを生きています。そして無常なる自己を受け容れられずに、永遠で確かなものを求めて迷い続けて来たのが私たちです。思うに任せないのが人生であり、悲しみを抱えた存在こそが人間の真の姿なのです。その無常なるいのちを生きているのが私なのだという真実に目覚めさせられることで、そこから新たな歩みが始まります。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」で言う「いのち」とは、阿弥陀如来の量り知れないいのちのことです。このいのちは私を真実に目覚めさせ、私を真に生かす力となってはたらくものなのです。
どうしようもない理不尽や耐え難い不条理に溢れたのが、私たちが生きる現実世界です。しかしそれが仏教の説く真理に他なりません。親鸞聖人はその無常なる世を見据えて、自らが救われん道を生涯をかけて求められたのでした。
真剣に生きようとすれば、悩みはそれだけ多くなります。人生に誠実に向き合おうとすれば、苦しみもそれだけ深くなります。悲しみや憎しみといった厳しい感情を抱くことは、実は本当に自分自身に対して向き合っている姿に他なりません。逆に言えば、私たちはそこまで真剣に生きているのか、自分の人生について考えているのかということが問われているということでしょう。
阿弥陀如来の大いなる慈悲の心は、無常なるいのち、限られたいのちを生きる私たちの悲しみと切り離すことができません。迷い苦しむ人間のすべてを救おうとされるのが阿弥陀如来です。それは即ち無量寿、量り知れないいのちを名前としていただく仏様です。この仏の光によって照らし出されることで、私自身がかけがえのないものとして本当に光り輝くことができるのです。
親鸞聖人七百五十回御遠忌に向けて作られた御遠忌テーマソング「今、いのちに目覚めるとき」は、この仏のいのちの限りないはたらきを歌っています。

辛い涙に暮れる日は 決して尽きないけれど
私が絶望しても 私を見捨てないものがある
私を生かすはたらきに 目覚めたときから生きられる
このかけがえのない私に いのちが今、かがやく
いのちが今、かがやく

今、このラジオをお聞きになっている皆さんの中には、会社や学校の人間関係に悩み、憂鬱な朝を迎えた方がいらっしゃるかも知れません。抜き差しならない問題を抱えて、眠れぬ夜を過ごした方もきっとおられるでしょう。あるいは目が醒めた時、今日の命があることを心から感謝された方もあるかも知れません。悩みが多いだけ、苦しみが深いだけ、悲しみが大きいだけ、決して見捨てないといういのちの願いがあなたにはたらくのです。そしてそのいのちに目覚める今、あなたは人生で最も輝く瞬間(とき)を生きているのです。

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